阿久比 坂 部 城 址 公園
令和 8年 6月21日(日)
場所 ・ 城山公園(坂部城址)
愛知県知多郡阿久比町大字卯坂字
栗之木谷32-1
坂部城 は、久松定益公が築城した平城で,当時は阿古屋城(あごやじょう)や 阿古居城(あぐいじょう) と呼ばれていました。
阿久比町立図書館Ⓟ
Ⓟは、 城山公園(坂部城址) 隣に在る休館日の図書館のⓅを利用させて貰いました。
坂部城址
城山公園(坂部城址) の入口は、図書館から少し坂を下った右側に在りました。
入口の石柱には、 久松家創業地 と刻まれています。
今の登城路は、何処となく哀愁が漂っている感じがしています。
突然でしたが、樹木に囲まれた林の中の公園が出現しました。
天文16年(1547年)、 徳川家康 公の生母である 於大の方 は、坂部城主の 久松俊勝 公と再婚し,後に岡崎城代として移るまでの15年間を城主として在城しました。
その間、熱田や駿府で人質の身であった 徳川家康 公に励ましの手紙や衣類を贈り続け、後の 徳川家康 公の運命や人間形成に大きな影響を与えたと伝わります。
永禄3年(1560年)5月17日、桶狭間の戦いを前にして 於大の方 と 家康公 (当時、松平元康)は、この地で母子二人が16年ぶりに感激の再会を果たしたと言われています
その後、坂部城は天正5年(1577年)に織田信長公の家臣である佐久間信盛公の手勢により攻められ、落城炎上しました。
城址の今は、半分が城山公園となり、もう半分が阿久町立図書館になっていました。
於大の方と久松俊勝公 との子は、康元・康俊・定勝らに恵まれ、後に松平姓を賜り、 久松松平家 として江戸時代には桑名藩主や伊予松山藩主となりました。
また何時か、機会を見つけて 於大の方 が生まれた水野氏の居城址を訪ねてみたいと思っています。




