宮下奈都さんの「羊と鋼の森」という小説を読んだ
ピアノ調律師の物語である
この物語を読んでいて
懐かしく思い出したことがある
それは実家に来てくれていた
ピアノ調律師のRさんのことである
私達は彼をJAZZさんと呼んでいた
私と妹は子供の頃ピアノを習っていた
どちらもまったく才能はなかったが
どうにかこうにか私はバイエル、ソナチネ、ソナタを終え
その後ショパンやリストなどのピースを購入して
練習していた
練習嫌いの私は
レッスン日の前の日か
ひどいときはその日になってから
あわてて一週間前に出されていた課題曲の楽譜を開ける
と言った具合で
一夜漬けならまだしも
1時間練習でレッスンに向かっていた
当然のこと
その態度は先生に伝わるので
いつも先生は渋い顔をなさり
非常に気まずいこともしばしばであった
妹など私よりもっとひどくて
まったくピアノに触らないまま
つらっとレッスンに出かけていく
姉妹であまりにも不出来であるので
先生から母に苦情が入ることもしばしばで
そのたびに母からひどく説教されていたのである
そんな態度で上手になることなどありえいわけで
二人共
ピアノはまあ、楽譜を見て簡単な曲なら引くことができる程度には
なったが
とても上級者というレベルには至っていなかった
我が家のピアノは
私達姉妹ではなく
父によって愛されていた
父は朝からピアノをかき鳴らし
ピアノをかき鳴らしながら歌を歌い
興が乗ってきたら
即興で
「これちゃっこちゃんの歌!
聴いて聴いて!!
いくよ〜〜♪
ちゃっこちゃん〜ちゃっこちゃ〜〜ん
か〜わいい〜ね〜〜!♪
おちゃめで明るい女の子〜〜♪」
などと不気味で家族以外誰も受け入れる余地のない歌を作り上げ
家族にも一緒に歌うことを強要してくるのである
父は一度もピアノを習ったこともなく
独自のセンスでひいているだけだったので
恐ろしく変な演奏ではあったが
それでもある程度のものは出来上がっており
そういう意味で一番才能があったのは父であろう
そんなこんなで
我が家にはピアノがあって
主に父によって盛んに使用されていた
三人で使うので
やっぱり半年くらいすると
音がぼやけてくる
そこで
いつもYAMAHAさんに調律をお願いしていた
いつも同じ調律師の方が来ていて
その方の調律を見るのが
家族全員大好きでとても楽しみにしていたのである
ポーーーン
と、ただ鍵盤に指をかけるだけで
もう何かが違っているのがわかった
音が踊っているように感じる
ボボボボボーーン
ボボーン
ボーーン
なぜなのだろう?
ただ音程を聞くためだけに出している音
・・・・なはず
だが
私達が触れて出る音と
まるっきり違うのである
ピアノを開けて
内部のフエルトを露出して
ハンマーのようなものや
針のようなものを刺したりして
ボーン
ボボボーーーン
と、調律していく
そして、だいたいすべてのキーを合わせ終わったら
彼は
簡単なバッハの練習曲をひいて
音程を確かめる
そのバッハの練習曲も
私がうんざりするくらい何度も何度も弾いているもので
何の変哲もない聞き慣れたアレである
そのはずであるのに
なにかうねりを持った
波のように
ものすごいゴージャスな楽曲に聞こえる
本当に不思議で
横を見ると
まだ小さい妹はポカーンと口を開けて
陶酔しきって聴いている
母もいつの間にか台所から出てきて
布巾で手を拭きながら聴いている
そして、音の調整がすべて終わったとき
彼は椅子に座り直して
JAZZを奏でてくれるのが常であった
その音のキラメキ
生き物のような躍動
私達は目に涙をにじませながら
その時間を楽しんだ
その時だけはうちの平凡なピアノが
なにかものすごく貴重な立派なものに変貌したかのようであった
ピアノ自体がちょっと踊っているようにすら見えた
彼は音大のピアノ科に通い
ピアニストを目指していたが
途中で夢破れ
それでも音楽に関わりたくて
この仕事についたということであった
こんなにすごい宝石のような音を出せる人でも
諦めなくてはならない道・・・・
ピアニストになるって
とても厳しい道なんだね
と、彼が帰るといつも家族で話していた
そして
そっと鍵盤に触れてみる
けれどやっぱり
私が出す音は
何の変哲もないただのドレミなのであった
同じ楽器なのに
触る人の息吹が
これほどまでに音色を変える
そこには
人間の持っている
目には見えない特性が
なにかにぶつかると
閉じ込められたところから
爆発するように開花する不思議があった
まだ幼かった頃
それをまざまざと知った経験だったように思う
別にピアノに限らず
例えば
同じ服を着ても
その人によって
全く違った雰囲気になるのも
それぞれの持っている個性が奏でているものが違うから
どこかに自分をぶつけて
きらめくものを見つけられると
生活に音階が生まれる
それはなんて
面白いものなんだろう
と
そう思う