人様の健康を管理させていただく仕事である
自分の能力で出来る限りの勉強をし
エビデンスを蓄え
実践し、心と体を支えるお手伝いをする
つくづく感じる事は
人は病気とともに生きるということである
健康そのもの
確かにそれが理想ではある
しかしみな
「健康」という言葉に
振り回されすぎている気がする
もし自分は真から健康だ
という方がいたとしても
その方を本気で調べたら
病、あるいは病のもとを発見するのは簡単なのだ
医者もわかっていても
「この程度なら」と言わない事も多い
生命は病いとともにある
それが私の持っている自論だ
ただ、
病気の出現する部位や時期
程度
そういうことが個人にとってとても辛い思いに
つながってしまう
周りで支える人たちにとっても
病気の程度は深刻な問題につながる
しかし
病気は誰にでも起こっていることであり
生きるという事は病との戦いでもある
病と寄り添う
そういうと
「そんな悠長な事!!」
という反発が起こる
でも
病気というのは自分の体の中にあること
それと闘うのは容易ではない
自分の中に起こっている事を
まず飲み込んで
その上でどうするかという気持ちが
「病に向き合う」ということではないかとおもう
怖いからやみくもにやっつけてしまいたい
そう思うのは無理もない
でも
あまり無理にそういう事をすると
自分自身もかなりの傷を負ってしまう
自分の体の仕組みをしっかり理解する事で
暗かった世界に
薄明かりをともす事が出来る
そうすれば
「なるほど、ここがこういうことになっていたのだ」
ということがわかる
怖さが減るのだ
怖いからやみくもに破壊兵器を投入してテロ攻撃し
健康な部分をも傷を負う
そういう治療から脱却出来る
体は生命体としての道具だ
しかもその道具は
命という限りのある時間だけ
使用する事が出来る
それをどのように理解し
実践し生活に結びつける事が出来るか
それがその人の生き方と
つながって行く
命の限界をまったく無視した
自分のあり方は
逆に自分を追い込む
限界を見つめながら
自分の命をうまく紡ぐ事が出来たら
そんな知恵を持てたら
病があっても人生は確実に実り多いものになるはずだ
病とともに生きる
それが命というものだから
自分の能力で出来る限りの勉強をし
エビデンスを蓄え
実践し、心と体を支えるお手伝いをする
つくづく感じる事は
人は病気とともに生きるということである
健康そのもの
確かにそれが理想ではある
しかしみな
「健康」という言葉に
振り回されすぎている気がする
もし自分は真から健康だ
という方がいたとしても
その方を本気で調べたら
病、あるいは病のもとを発見するのは簡単なのだ
医者もわかっていても
「この程度なら」と言わない事も多い
生命は病いとともにある
それが私の持っている自論だ
ただ、
病気の出現する部位や時期
程度
そういうことが個人にとってとても辛い思いに
つながってしまう
周りで支える人たちにとっても
病気の程度は深刻な問題につながる
しかし
病気は誰にでも起こっていることであり
生きるという事は病との戦いでもある
病と寄り添う
そういうと
「そんな悠長な事!!」
という反発が起こる
でも
病気というのは自分の体の中にあること
それと闘うのは容易ではない
自分の中に起こっている事を
まず飲み込んで
その上でどうするかという気持ちが
「病に向き合う」ということではないかとおもう
怖いからやみくもにやっつけてしまいたい
そう思うのは無理もない
でも
あまり無理にそういう事をすると
自分自身もかなりの傷を負ってしまう
自分の体の仕組みをしっかり理解する事で
暗かった世界に
薄明かりをともす事が出来る
そうすれば
「なるほど、ここがこういうことになっていたのだ」
ということがわかる
怖さが減るのだ
怖いからやみくもに破壊兵器を投入してテロ攻撃し
健康な部分をも傷を負う
そういう治療から脱却出来る
体は生命体としての道具だ
しかもその道具は
命という限りのある時間だけ
使用する事が出来る
それをどのように理解し
実践し生活に結びつける事が出来るか
それがその人の生き方と
つながって行く
命の限界をまったく無視した
自分のあり方は
逆に自分を追い込む
限界を見つめながら
自分の命をうまく紡ぐ事が出来たら
そんな知恵を持てたら
病があっても人生は確実に実り多いものになるはずだ
病とともに生きる
それが命というものだから