2月6日はゲイリー・ムーアの命日です。
『After The War』
ゲイリー・ムーアが1989年に発表した9作目のスタジオ・アルバム
最後のハード・ロックアルバム
コージーがほとんどの曲に参加しています。
参加ミュージシャン
ゲイリー・ムーア - ボーカル、ギター
ニール・カーター - キーボード、バッキング・ボーカル
ボブ・デイズリー - ベース
コージー・パウエル - ドラムス
「After The War」
ドラムの音源はチャーリー・モーガン
「Speak for Yourself」
ドラムはサイモン・フィリップス
「This Thing Called Love」
ゲイリー・ムーア - ボーカル、ギター
ニール・カーター バッキング・ボーカル
ボブ・デイズリー - ベース
コージー・パウエル - ドラムス
ドン・エイリー - キーボード
1989年 AFTER THE WAR Japan Tour
中野サンプラザ
ゲイリー・ムーア 最初で最後のコンサートでした。
ツアーのリハーサルの段階でコージーは離脱してしまいました😢
-
一方で、ゲイリー・ムーアは俺に、次のアルバム「After the War」を手伝ってくれって言ってきた。奴はツアーの契約もしてた。奴のバンドには有名なドラマーがいたし (イアン・ペイスのこと)、ツアーのリハーサルじゃ泣きそうになったよ。ドラム・マシンに合わせてくれとか、昔のアルバムの演奏に一音一音すべて合わせてくれとか言ってくるんだ。2時間のライブのためには十分すぎる感じだった。
-
5週間のリハーサルの後、プロダクション・リハーサルのセッティングをしたが、俺のドラムスは第三次世界大戦みたいな音だし (意味不明)、ゲイリーはギターの音が気に入らないし、その夜に突然、俺はツアーから外れることになった。急きょクリス・スレイドが呼ばれて、奴は3日間でツアーに間に合わせたんだ。ジョン・ハイズマンに地獄に連れてかれて以来 (コラシアムIIのこと)、奴はドラマーには一言あるようになったんだろうな。
これについては
後任のクリス・スレイドのインタビュー 2024年11月
<ゲイリー・ムーアは他人に対して以上に自分に厳しいミュージシャンだった>
●1989年にコージー・パウエルの後任としてゲイリー・ムーアのバンドに加入して、ジャパン・ツアーにも同行しましたが、彼との活動はどのようなものでしたか?コージーやジンジャー・ベイカー、ゲイリー・ハズバンドなどはゲイリーが細かいところまでをコントロールして自由がない、と言っていた一方で、サイモン・フィリップスは自由に叩いていたと話していましたが、あなたはどうだったでしょうか?
ゲイリーは自分が求めるものを明確に相手に伝えるタイプだった。ドラマーによっては、それに抵抗がある気持ちは理解できる。アルバムと同じように叩くのは、自分自身をコピーすることになってしまうってね。確かに窮屈に感じるドラマーもいただろう。ただ彼は他人に対して以上に自分に厳しいミュージシャンだったし、私は彼の期待に応えるようベストを尽くした。ゲイリーは気の良い人で、彼のバンドでやる前から、何度かパブでビールを飲んだりして、仲が良かったんだ。
Gary Moore - Guitar & Vocal
Bob Daisley - Bass
Neil Carter - Keyboards, Guitar, Vocal
Chris Slade - Drums
セットリスト
Kings Hall Belfas - Parisienne Walkways 1989