あの頃は、小学校で臨時の職員をしていました。

8年前、3.11
ちょうど5時間目が終わり、やっと今週も終わったなーってトイレへ向かいます。
そして、出てきたら何故か立てない程の揺れ。
え?何かおかしい。
トイレから廊下にでたら、校庭へ避難する児童の誘導が始まっていました。
震度5強の揺れだったそう。

あの日の午後は、6年生が卒業間近なので、感謝の会をする予定でもありました。が、中止に。とても残念でした。

その後は、スクールバスを送り出したり保護者の迎えがあったりで、ずっと校庭にいました。
とても寒かったのを覚えています。
そして、小さい子供達を大丈夫、大丈夫と励ましていたと思います。

そして、その後の土日が大変でした。電気も停電で2日くらいは付かなかった。
みんなで電池で動くラジオを聞き、コタツは付かないが、茶の間で雑魚寝。
かろうじて石油ストーブがつくことと、ガスが通るとのことで、お湯を沸かしたりはできた。

なので、カップ麺やインスタントの味噌汁などは食べることが出来ました。
水とカイロとインスタント食品、あと子供のビスケットなど、買っておくとすごく役に立つと思いました。(災害が起きると買いだめしたくてもスグに買い占めが起こり、それは難しいので)
ガスコンロと水が使えれば、インスタントカレーや、ご飯炊くくらいは可能になりますからね。

それから、食糧難や石油とガソリンの供給不足、計画停電など、栃木に住んでいても色々ありましたし、もっと北の人達は大変な思いをしたと思います。
自然災害が多い国に住んでいると言うことは、いつでも備えておかなくては行けないんだなーとこの時期は改めて考えさせられます。