〈CUP vol.2〉その10

俳優 キム・ナムギルの
対話集 後:) 談話




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イ・ウォンギュ-やっぱりそうですね。車に乗って行ってもまさか詩をかく?う~ん … では、やはり歩いた方がいいでしょうね。自転車もいいんだけど、それも状況によっては…。天の川を撮りに江原道まで自転車で行くと(笑) 旅行を一緒にするようにですね。早く行かなければならない時は早く行かなければならないし、立っているときには立っていることができなければならないし、ゆっくり行かなければならない時はゆっくり行かなければならない。それが自然の速度です。私がバイクに慣れているからか、自然の速度に合わせるようになるようです。

キム・ナムギル-自然の速さなので歩くのもお好きなようですね。巡礼団の活動にも参加されたじゃないですか。環境にも関心が高く、環境運動巡礼団とも縁があると聞きました。

イ・ウォンギュ-5年間、全国土を両足で歩いた生命平和托鉢巡礼団の道案内をしました。道案内で先に歩いて行かなければならないので、下見をしたのですが、おそらく洛東江(ナクトンガン)も私が最初に歩いたと思います。2000年、その時は歩く道がほとんどありませんでした。ぐるっと智異山を歩いたところ、それが智異山のトゥルレ道になったんです。
当時、山岳用バイクで下見をしたので、元々100日歩くところを半月で終わりました。どこに行けば聖堂があるのか、テントを張る場所があるのか、日陰があるのか、これを全部計算しておかなければならないじゃないですか。こちらへ行ってみて、完全に歩けないなら反対に戻ってまた行ってみる。機動力があるから。
それを地図に全て表示して、そうやって10年を巡礼団と一緒に活動しながら約3万里は通ったと思います。

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智異山
じゃなくても
それが重要だと思います。
自然を
感じることです。



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3万里ならここからオランダくらいの距離かな。そして夜はバイクに乗りました。夜に終わったら巡礼団の人たちを寝かせておいて、日誌を書いて送らなければならないんですよ。それで田舎町のネットカフェに行かなければならないので、その言い訳で近くにバイクを持ってきてた。夜にネットカフェに行って日誌を送って、バイクはそこに置いて。数日歩いてタクシーに乗って、またネットカフェに行って、夜にバイクに乗る楽しさ。昼はたくさん歩いて、夜にまた移動して(笑)。
そのとき、歩きながら一つ気づいたのが、人の歩く速度と自然の速度が同じですね。そのときは秋だったんですが、紅葉し始めた江原道から釜山の金井山(クムジョンサン)まで降りてきました。29日かかりましたが、歩いてくる間、ずっと紅葉をみたんです。紅葉が南下する速度が歩いて行く人の速度と同じです。春には花が咲くから、花の北上速度と私が歩いて行く速度が合うんです。車は速すぎます。そうでしょ?自動車が花が咲いた地点をさっと通ってしまうと花がない。
でも歩いて行くとずっと花を見ることができるんですよ。だから、春を長く見るためには歩いて上に登ればいいし、秋を長く見るためには民統線(民間人 出入統制線)から下ればいいんです。
たいていの人は春の桜、秋の紅葉を1、2日しか見ません。桜を見に汝矣島の輪中路(ユンジュンノ)に行くか、智異山の蟾津江(ソムジンガン)や双渓寺(ケンゲサ)に来るか。
それを見て春を満喫したということですが、あのやり方でやれば春を長く見ることができます。桜を鎮海(チネ)で見て、全州(チョンジュ)-群山(グンサン)でまた見て、ずっと見ることもできるんです。私はその時 紅葉を長く見ました。29日だから1ヶ月を通して見ました。

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朝、テントから出てちょうど伸びをすると、前の山に紅葉が色とりどりに。だから歩くのは自然の速度なんだよ!感じました。私はバイクで一周もしたことがあります。自然の速度に合わせて。バイクに乗れば速いから左に右に行くんです。東海に行って、西海に行って。ずっと花を見て行くんですが、東のものを見て、西のものも見ながら登りました。代わりにテントを全部背負って半月間は日中 左に右に写真を撮りに行きました。

キム・ナムギル-徒歩巡礼中にもバイクを持って行かれたんですね(笑)?では、一番愛するものはバイクですか? それでは夫人のシン・ヒジ作家さんは?秘密にします。ハハハ。

イ・ウォンギュ-ハハ。シン・ヒジ夫人は友達であり妻だから言うことをよく聞かないといけないのに… 番外にして(笑)。元々私は物書きだからノートパソコンでじゃないといけないけど、これがなければ鉛筆で書けばいいから。一番大切なのがバイク、2番目はカメラに変わり、3番目がノートパソコンです。

キム・ナムギル-詩人さんが一番好きな自然は風、2番目が星ですか?詩人さんにとって、詩と星は何だろうと気になりました。

イ・ウォンギュ-私が星を撮ることになったのが、これも縁だと思うんだけど。10年間歩いて環境運動をして体の調子が悪くなりました。私が壊れました。結核心肋膜炎だったんですが、痛いついでに休んでから行こうと思いました。

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そのとき、私の知り合いの先輩が野生の花を撮ってたんだけど、「君は環境運動をしていて、生命平和運動をしているが、智異山の野生の花についてはよく知らないんじゃない。」 という言葉がすごくショックでした。私はよく見えないことにあまりにも関心がなかったんですね。
智異山を生かす、洛東江を生かす、このような巨大な話題についてだけ悩んだだけで、小さくて弱い生命体が地球を形成していることを忘れていたのです。それで、智異山の花から会おう。その道でテントと薬を持って、カメラは家内のを奪って山に入りました。

キム・ナムギル-そうやって歩き続けながら星が見えて、天の川が見えて …。そのように木と野の花、星のある写真を撮ることになったようですね。

イ・ウォンギュ-下見をしながら記録しておいたものもあるし、頭の中にその記憶があるじゃないですか。どこに行くと奥地の村があり、どの川辺に木があるとか、こういうのを知っています。それで野生の花もよく見つけ、奥地の村の星もよく見つけました。

キム・ナムギル-詩人さんの写真を見て、天の川が韓国でも見られるということがわかりました。ソウルでは星も見えないじゃないですか。「あれ、星ですか?」 というと、私たちはあれは星じゃなくて人工衛星だと言うんですよ(笑)。

イ・ウォンギュ-私はバイカル湖にも行って、モンゴルにも何回も行きました。でも、面白くない。運良く天の川を発見しても、背景が草原や

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水なんです。それでは退屈です。私たちは春・夏・秋・冬 の季節によって風景が変わり、木もあります。同じ松の木もあり、花もあります。

キム・ナムギル-ただでさえ独特だったのが、詩人さんの写真の中で町と照明がありますが、その上に天の川が広がった写真があります。照明があっても見えるのかなと思いました。

イ・ウォンギュ-町があるから照明があります。空気のきれいな田舎は集落まで明かりがあっても星が見えます。でも天の川を深く見るなら、もう少し奥地の村に入って撮ったほうがいいですね。

キム・ナムギル-どうしても都市は公害のために星がよく見えないでしょう…。昔はそれでも見えたような気がしますが、今は江原道や地方に撮影に行くと時々見えるような気がします。

イ・ウォンギュ-そうですよね。慶尚北道(キョンサンブクド)の奉化(ボンファ)から奥地の村に峠を越えると陟(サムチョク)なんです。今年の夏にその境界で私が高冷地畑を見つけました。天の川がすごかったよ。
〈何でも残そう〉放送にその写真がちょっと出てきたんですが、それが江原道の高冷地だとちょっと映りました。実は詐欺半分、真実半分です。高冷地畑が江原道に多いからトリックを使ったんです。もし訪ねてきて畑を荒らすかと思って(笑)。

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韓国でそれでも星、天の川を見ることができるところが慶尚北道 奉化、江原道 陟のようなところがあります。太白(テベク)の上の旌善(チョンソン)はカジノのせいで明るくてダメで。下のほうに行くか、完全に上に上がらなければなりません。
人も歩く星です。地球の誕生過程を見ると、我々人間は星の子、科学的に私たちの体の進化過程を見れば、星から来たという話が正しいです。

キム・ナムギル-星はあなた。本当に星から来たあなたですね(笑)。それでは、人によって星のような感じがあるとおっしゃいましたが、私はどんな星に似ていますか?

イ・ウォンギュ-あえて見ると、キム・ナムギル俳優は言葉も多いし、ユーモラスで茶目っ気もあって、天真爛漫な時があるんだよ(笑)。気難しい都市の男のようでありながら子供たちといたずらをする時を見れば少年のようでもある、その性向が一緒にあるようです。う~ん… 北極星ではなさそうで、射手座の星や白鳥座の星?北極星は地球の軸、中心をしっかり掴んで重心をとるタイプじゃないから。ハハハ。

キム・ナムギル-なるほど。何か合ってるような気もする。ハハハ。写真は奥さまのカメラを奪って始まったんですか?

イ・ウォンギュ-家内がカメラで写真の勉強をしますが、私が見るには写真に対する情熱があまりありませんでした(笑)。それで、カメラを奪って山に行きました。

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野生の花を見つけて撮って、花が咲く過程を記録して。そして、空気の良いところで薬をのんだり、ご飯を作ったりしていたら、肺も癒されました。また、写真の実力がものすごく早く伸びました。孤独だからです。ハハ。そんなある日、難しく花を一つ見つけました。貴重できれいな花がまだ開ききっていません。では、咲くまでテントを張ってそこで一緒に暮らしましょう。そして、退屈だから。咲くまえにも撮って。朝、昼、夕に撮って。夜にろうそくを灯して撮って。ランタンの光で撮って。いろんなことをしていたら、花と光を理解するようになりましたよ。それを何年かやってみると、実力がぐんと伸びました。
しかし、雨の日に撮った野性の花の写真を全然手に入れていないんです。人々は雨が降ると、外で自然の写真をあまり撮らないんです。それで私は雨が降ったら山に行こうと逆に思いました。雨が降ったら山に登って雨が止んだあと、雲が途切れたら、その残していた花を撮り、あるいは夜明けに行って、霧が来るまで待って、その花を撮って。なぜ?花は事前に全部探しておいたから。夢の中を歩くように雲と霧の中に咲いた野生の花を撮りたかったんです。ところが、これが韓国初となったんです。それで、〈夢遊雲霧花〉この作品は人気があります。

キム・ナムギル-現在、作品活動の他に夫人のシン・ヒジ作家さんと智異山文化芸術学校(智異山幸福学校)も運営されていますね?

イ・ウォンギュ-この学校ができた理由は妻のためです。なぜなら、シン・ヒジ女史がこの町に写真家がいるにもかかわらず、写真を釜山まで学びに通うんです。

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だから
私がカフェにいたり、お酒を呑んでいても
私の後ろに天の川があるということを
知っているのと知らないのとでは
人生の姿勢が違うということです。



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ちょっと有名な写真家に。この田舎では手に入りにくい〈写真の歴史〉の本を手に入れたら、全てが明らかになりました。この町に写真家もいるし、詩人もいるし、みんないるから、遠くに行かないで、むしろ私たちが学校を作ろうと言いました。町に画家がいる、木工人がいる、緑茶を作る人までいるから。代わりに動く学校を運営しよう、写真班は一緒に出て撮り、木工芸班は木工芸の先生の家に行って。陶磁器班は陶芸家の家に向かう。このように。どうしても必要なら「芸術蔵の夢遊」 に来たり、知り合いのペンションやカフェに行ってやります。私たちは何時間も使う。人が来ない時間です。だから、あちこちの智異山と江(ソムジンガン)が全部学校になったんです。

キム・ナムギル-だから、智異山文化芸術学校は学校もないし、建物もないんですね。

イ・ウォンギュ-その通りです。そしてここで授業をして、今日は茂朱(ムジュ)に行きましょう。こうなって、また茂朱に行くんです。他の地域にも行くし、教室が固定されていないから自由ですよね。先生もそうです。私に詩を学びに来たんだけど、その人、パンソリの名唱ですよ。そうすると、一年 詩を学んでからパンソリ班を作ります。こうすれば半分がなくなり、負担が軽減されます。私たちは全国を相手にしています。代わりに忙しくて月に一度だけ。まず、智異山に1泊2日来て、1泊しない人は勉強して、1泊する人は集まってお酒も一杯飲みます。月に一度だけ智異山に遊びに来るように来て、パンソリを習ったり、

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動画撮影班に来て動画を学んだり。このように全国から来て学びます。
済州島の校、蔚山の嶺南アルプス学校などの学校ができました。私たちのやり方をベンチマーキングしました。また、学校に校長はいません。講義料も1ヶ月のガソリン代程度だけくれます。教務処長は携帯電話をたくさん使うから、その費用をもう少し払って。それで、終わりです。
年末にもし少しお金が余ったら、機材を買ったり、あるいはお茶を作ってみんなに配ったりします。そのように年末に予算を使いきって 0ウォンにします。そうするうち、ある人に何か良いことが起きました。例えば、子供が結婚したんだ、学生たちにお祝いのお金を頂いたんだ。じゃぁ、報いないといけないじゃないですか。その時はゴールデンベルを私たちが 「今日は私が生ビールをおごります。」 じゃぁ、10万ウォン分の生ビールを無料で。そうやって、勉強して遊びましょう。

キム・ナムギル-自称、智異山のナラリ(遊び人)? 遊ぶ男だとおっしゃられる。

イ・ウォンギュ-昔、新聞で私を「智異山の暴走族 イ・ウォンギュ」 と言ってました。それならむしろナラリ(遊び人)と呼べと言いました。智異山でよく遊ぶ男。遊び心のある男。風流ともいうから。風流なども実際は完全に自然から感じられますね。自然と共に行くのです。
私たち人間も自然の一部なので、それをずらすと問題が生じます。今は地球が私たちを追い払っているようです。大変なことだ。


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キム・ナムギル-普段は便利さのためか、無関心のためか、私たちが自然をどれほど毀損しているのか、大きな警戒心を感じないようです。ところが、ここに来ると自然の中にいる方々は地球の危機をより身近に感じるようです。

イ・ウォンギュ-ここもペンションの許可をたくさん出して、ケーブルカー、ゴルフ場のような施設がたくさんできました。それで今、智異山が雑然となりました。
山岳列車だ、ゴルフ場だ、どうしてこんなにむやみに執心するのか。山を仕方なく開発しなければならないなら、それをよく保護しながらしなければならないのに、それを破って入ってきます。少なくとも国立公園だけは国家的に守らなくてはいけません。
智異山じゃなくても、それが重要だと思います。自然を感じることです。だから私がカフェにいたり、お酒を飲んでいても、私の後ろに天の川があるということを知っているのと、知らないのとでは人生の姿勢がちがうということです。それは意味が大きいです。例えば居酒屋でも「そっちが智異山の方向だから、あなたはそこじゃないよ。」 、「私は束草方面のここに座るよ。」こうすれば、想像力のおかげて姿勢も変わるし。それは自然の中に一緒にいるのとおなじです。断絶した人生の中でいつでも自然になれるんだよ。

キム・ナムギル-そんなことは思いもしませんでしたが、智異山の方向?覚えておきます(笑)
詩人さんは智異山にもう26年も暮らしているじゃないですか。8回も引っ越し、今も八道の自然を放浪していますが、智異山を離れない理由がありますか?


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イ・ウォンギュ-智異山周辺をぐるぐるまわりながら、生きてみました。山の中、江(ソムジンガン)下、礼(クレ)、南原(ナムウォン)、河東(ハドン)、陽(ハミャン)、光陽(クァンヤン)を全て見ましたが、智異山は私のような男が住むのに一番いい所です。山もあるし、川もあるし。少し下れば海もあります。また、バイクに乗るにも快適じゃない(笑)。ここから少しだけ上の地域に行けば一応信号機が多いです。信号もない村の地方道、国道を通って上に行くと窮屈になります。

キム・ナムギル-故郷は懐かしくありませんか?

イ・ウォンギュ-昔の詩を見るとそうじゃないですか。どこでも故郷みたいだって。必ず私の故郷 聞慶(ムンギョン)で暮らすことが故郷にいるわけではないから。どこでも故郷と思えます。私の住む空間と故郷の空間がいつも繋がっていると。私が離れていても、私たちの考えや精神は常に時間と空間を越えています。バイクで走りながらも、どこかに何か花が咲いているのを見ると、自然に故郷に咲いた花も思う。そうすると、お母さん、おばさんが思い浮かんで。時空超越、よく聞きますよね?私はここにいるのに、私の思いは行ったり来たりすることです。匂いとして、香りとして。行く先々が私の故郷というのはそういう意味です。どこに行っても、食べ物一つ食べてもそうだし。離れていて寂しいと言いますが、考え方によっては、それらがすべて故郷のように感じられるのです。