〈CUP vol.2〉その9

俳優 キム・ナムギルの
対話集 後:) 談話








自然と共に
自由を享受する


都市を離れて 天の川を探す
放浪詩人 「イ・ウォンギュ」


p.114

入山26年目、詩集と詩の写真集
などを出版した「バイクに乗る智異山の
詩人」 イ・ウォンギュ。
都市の暮らしを捨てて智異山に
行った彼は 夜空の星も、道端に
咲いた花も大切な存在であり、その動き
自体が詩だと話す。人生が
霧の中にあるとき どこかに咲いている
野の花のように、自分だけの色を求めて
寂しさと堂々と立ち向かうことができなければならないという彼は 自称 「智異山でよく
遊ぶ男」だ。風に乗って草の香りを
嗅ぎながら バイクに身を任せたまま
自然を友とした彼の自由を盛り込む。

イ・ウォンギュ


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キム・ナムギル-詩人さんの「愛するバイク」は相変わらずですか?まだびくともしませんか?

イ・ウォンギュ-もちろんです。びくともしませんよ。そうでなくても午前中、市内に仕事をしにサッと行ってきました。私はバイクに乗るだけだから、車の運転ができないじゃないですか。バイクが私の足であり、自動車であり、とにかくちょっとしたところから未舗装道路まで行けないところがないから。あまりにも長く乗って40数年間乗っているから、サドルの上に座っているのが楽です。ハハ。

キム・ナムギル-ハハハ。やはり愛情が溢れていますね。詩人さんに気になることがあるのですが、放送カメラがない今は教えていただけますか (笑)?
実は〈何でも残そう〉放送では決まりませんでしたが、私とイ・サンユン俳優が撮ったデジカメがあるじゃないですか。芸術は相対的ではないとおっしゃいましたが、それでも大会の審査員として行くと、仕方なく評価されますから。ハハハ。それで、私たちのデジカメ写真や作品の企画意図など部門別でも評価していただければ?

イ・ウォンギュ-ハハハ。実はキム・ナムギル俳優さんのデジカメを見て本当にありがたかったです。智異山の子供たちを道で見つけて、両親に許可まで得て写真を撮ったじゃないですか。普通、人々が智異山に来たら自然の風景を撮ろうとするだけです。私は双渓寺か茶畑か、せいぜい花開市場を撮るだろうと思っていたのですが、意外にも子供たちの写真を撮ってびっくりしました。最近の田舎の学校はみんな

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廃校レベルじゃないですか。今回撮った子供たちは5年生かな?現在、全校生徒が36人しかいないのに、この周辺の学校の中ではそれでも生徒数が多い学校なんですよ。隣の他の学校はもう全部閉校しました。その子供たちの下の世代がもういないはずなのに、そんな大切な子供たちを見つけて写真に残したというのが本当に涙が出る。

キム・ナムギル-一人暮らしの人も多くなり、少子高齢化問題がますます深刻になっているようです。

イ・ウォンギュ-現在、韓国の出生率が0.78%にも満たないというじゃないですか。でも田舎はほとんど生まれていないから。帰農、帰村する若い世代が来ても子供を産む条件がないです。とにかく、あの時あの子供たちを、それも明るく笑う姿を取り入れてくれて感動しました。
イ・サンユン俳優は写真がいいですね。撮ったものを見ると、休みたいということを感じました。
そして、キム俳優さんの鷲の形の凧を撮ったのも面白かったです。ひもをぶら下げて飛んでいるのに、縛られているじゃないですか。それが本人の自画像に見えたのだろうか?自由になりたいのに、俳優もしないといけないし、コンサートもしないといけないし、そのように縛られているから。そういう感じがしました。

キム・ナムギル-実際、やらないといけないことが本当に多いんです(笑)。逃げたかったみたいです。私だけじゃなくて、最近の都会の人たちはワーカーホリックが多いじゃないですか

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私も俳優とNGO代表を並行しながら忙しく暮らしているんですよ。このようにすることが多くなると、マンネリに陥りやすいようです。
詩人さんは記者の仕事をしながら忙しい都市生活をやめ、このように智異山に移らなければならないと決心したきっかけとかありますか?

イ・ウォンギュ-私はワーカーホリックとかじゃなくて、元々の気質が詩を書いてお酒を呑んで遊ぶのが好きな人なんで(笑)。むしろ記者生活がちょっと偽装就職の概念でした。労働解放文学をしながら記者生活を並行したんですよ。自分では偽装就職だと思っていましたが、母親には息子が故郷の誇りでした。それでむやみに辞表も出せませんでした。ところが文民政府が発足し、1997年に母親も亡くなり、果敢に辞表を出しました。ソウル生活をする二つの理由が解決されましたから。
その時、ちょうど200万ウォンを持ってソウルから全羅線の夜の列車に乗って戻ってきました。その時、創作と批評社(現 チャンビ)でシン・ドンヨプ文学賞を受賞したんですが、賞金が700万ウォンでした。700万ウォンのうち500万ウォンは何に使ったかというと、私がたまに酒をおごってもらったり(笑)、タクシー代を借りたり、そんな人たちに適当にお酒を買ったり、仁寺洞の居酒屋のあちこちにツケをしたお金を返したり。ハハ。

キム・ナムギル-では、もしかして故郷だから智異山にいらっしゃったんですか?

イ・ウォンギュ-とんでもないです。故郷は慶尚北道聞慶(キョンサンプット ムンギョン)です。故郷から一番遠いところへきましたね(笑)。故郷に行くことも考えました。おじさんもいるし懐かしいから

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でも、そこでは自分の思い通りに生きられないじゃないですか。詩人だからといってどこに出勤するわけでもないから、ふうてんのように見えるんじゃないの。母もいないし…。そして、お酒が好きでタバコが好きで、世の中の悪いことだけ全部好きで、自由に暮らしたかったんです。その我が家の聞慶(ムンギョン)の裏山に白頭大幹(ペクトゥデガン)山脈が通っているそうで、白頭大幹に添って山脈が智異山まで下りてくるじゃないですか。ここ(智異山)を白頭大幹の一番端にして、いつでも後ろの山に登って行けば、私の家(聞慶)に行けるという気がしたんです。そして私が慶尚北道(キョンサンプッド)出身だから、どうせなら慶尚南道(キョンサンナムト)ではなく一番遠く全羅南道(チョルラナムト)に行こう。それが全羅南道 求礼(クレ)でした。初めて来たときは、後ろの家におばあさんが一人いて、私は一軒家に住んでいましたが、回り回って現在住んでいる所が智異山で8番目の家です。平凡で、梅畑の真ん中の、平野に住んでいるからいいですね。昔、山でも暮らしてみて、蟾津江(ソムジンガン)のほとりでも暮らしてみました。やはり、平凡なのがいいですね。

キム・ナムギル-それでは、詩人さんの詩作品の中に「もし智異山に来たいなら」 があるじゃないですか。アン・チファン歌手の歌として使われたりもした作品です。内容の中に智異山に「謙虚に来て反省しに来なさい」 こういう表現もありますが、「もし耐えられそうなら、どうか来ないでほしい」 とも言うじゃないですか。どのような意味で智異山に来るなとおっしゃってるんですか?

イ・ウォンギュ-人々がずっと来いって言うじゃないですか。詩の内容も見ると来るように言われていますが、智異山に10景があります。智異山で最も美しい10ヵ所。

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先人たちが漢字で書いておいたようで。老姑壇(ノコンダン)の雲海、般若峰(ハニャポン)の夕焼け、天王峰(チョナンボン)の日の出、蟾津江(ソムジンガン)の澄んだ水 … こうやって書いてあったんです。それを見たんですけど、「天王日出」みたいな感じで、漢字4文字になってるんですけど、そこに私が直接行ってみたら、素晴らしかったんです。「これを簡単に書いて智異山10景を知らせなければならない」として新しく書いたところ、人々がとても喜んだんです。
そこに死のうと行く人もいるが、直接行ってみるととてもきれい。だから「死ぬのは一週間ほど伸ばしてから死ねばいい」と思います。死のうとして老姑壇(ノコンダン)の雲海の上から飛び降りても痛くなさそうで。だから、この10景が生きるにもいいところだけど、死ぬにもいいところだったんです。それで書いたんです。むやみに自殺を夢見るなって。本当に大変な時に来て、悟ったり癒されたりして、また戻って幸せに暮らせ、という意味です。


「もし智異山に来たいなら」

もし智異山へいらっしゃろうとするなら
天王峰の日の出を見においでなさい。
三代ずっと積善した人だけが見ることができるので
誰でもいらっしゃるのはやめて。
老姑壇の雲海に溺れようとするなら
忘れな草の花盛りに、腹黒い心を抱かずに
白露でおいでなさい。
もし般若峰の夕焼けを抱こうとするなら
旅人の尻をかすめる風にそよって来て
ピア谷の紅葉に会おうとするなら
先に実が赤くなる頂上においでなさい。
敢えて智異山へいらっしゃろうとするなら
仏日滝の水棒に打たれにくるなら
罰を受ける子供のように背中が真っ青になり
碧宵嶺の雪の冷える月明りを受けようとするなら
骨さえ粉々になる回還によっておいでなさい。
それでも智異山へいらっしゃろうとするなら
細石平田つつじの花道に沿って
全身を燃やす革命の名前でおいでになり
最後の処女林七仙渓谷には
どんな罪もない木こりでおいでなさい。
真に智異山へいらっしゃろうとするなら
蟾津江の青い影の中に
白砂浜の砂のように謙虚に来て
年下峰の断崖と枯れ木を見ようとするなら
ともすると自殺を夢見る者だけ、反省しにおいでなさい。
けれども敢えて智異山へ来たければ
いつ どの場でも、どうでもおいでなさい。
あなたは日々に気まぐれだが
智異山は変わりながらも、いつも初心だから。
もし耐えるに値するならば、どうかいらっしゃるな。
もし耐えるに値するならば、どうかいらっしゃるな。



キム・ナムギル-あぁ、それで耐えられそうになったら来るな… 。
また、詩人さんはバイクも本当に長く乗ってるでしょ。約30万km 乗られましたが、車でもそんなに長くは行けません。私もバイクに乗り始めましたが、詩人さんはバイクがどうして好きなんですか?

イ・ウォンギュ-ハハハ。あのバイクが私の人生の21代目のバイクなのですが、これで最後まで行ってみようと思います。現に30万kmを超えたら少し故障するんだよね。それでも、40万、50万km 乗れるところまでちょっと耐えてみようと思います。30万kmなら地球7以上回る距離です。私は一晩で1.000里も乗りますが、選手たちもトラックで乗ってもこんなにマイレージは出ません。

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初めてバイクに乗ったのは中学校に通っていた時でした。その時は父親なしで食べていかなければならないので、母親の仕事を手伝うために。当時住んでいた所が鉱山地帯だったのですが、母親が鉱石を家に持ってきて集めて売りました。重さが40kgでとても大変、山道なんです。それで先輩のバイクを夜明けに引っ張ってきて、鉱石を積んで越えました。生活の為で乗ったのは初めてでした。ある意味、私はバイクを逆に習ったんです。山岳用から習って、次に砂利道を習って、次にアスファルト。だからアスファルトでは絶対に飛ばされることはないよ。私は今でも私が最後の騎馬族だと思います。ここで馬に乗るわけにはいかないけどね(笑)。それで選んだのが二輪バイク。だから私は私たちの時代の最後の騎馬族です。そういうポーズで(笑)。

キム・ナムギル-最初はお母さんを助けるためにバイクに乗って、詩人さんの移動手段でもあったんですね。では、詩人としての今はバイクはどんな意味を持っているのでしょうか?

イ・ウォンギュ-バイクは風が吹くと、自分の体で風を受けます。この町は梅の村じゃないですか。春の日にバイクに乗って降りてくると、梅の香りがします。車に乗ったら絶対に嗅げない香りだよ。谷によって梅の香りの深さが異なります。ほのかにき来て、濃く来て。香りが風が全部見えるんです。海辺に行くと生臭い匂いがして、塩のしょっぱい匂いがして。バイクを少し習った人たちは風が見え始めるそうです。

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ライダーは風を読みながら乗らなければなりません。大風のような時も乗って、雨が降る時も乗って、夜も乗ってことごとく乗ってみました。風は何で見るかというと、草を見るんだよ。木を見てこそ風が見え、波を見てこそ風が見えます。それを一緒にして自然を読むことができなければなりません。そうやって乗ると、あなたも安全に長く乗れるし、バイクも長持ちします。
バイクに乗るのは馬に乗るのと同じです。雨が降れば雨に打たれなければならない。どうしてもだめなら雨具を着る。もっとひどいと行けない。ハハ。雪が降ったら約束も守れない。私は行きたいけど天が許してくれないから、講演もキャンセルして、上手く話しといてくれと言うんです。車ではなるべく行かないといけないじゃないですか。バイクでは自然が許可しなければ行かないよ。それはまぁ死ぬことでもあるまいし。だから自然と共に。
そして、バイクに乗ると天気予報を見ることなります。農夫のように、漁師のように。漁師たちは毎日見なければならないじゃないですか、気象庁を見るのも訓練になって。
いつも気象庁を見て、空を見て。いつも見ていると、私も気象庁よりはもっとよく当てますよ。不安だったら、うちの気象庁じゃなくて、日本の気象庁も見て、スウェーデンのも見て。そこに私が感じる風の方向まで合わせて見るから、精度がより高くなります。自然を読みなさい。そうしてこそ対処できます。

キム・ナムギル-バイクに乗って風を見て自然を読むこと、そして写真を撮って詩を書くことが詩人さんのどんな感情線、詩想とより自然につながりますか?