〈CUP vol.2〉その3

俳優 キム・ナムギルの
対話集 後:) 談話




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ヤン・チャンモ-特別なきっかけがあったわけではありません。家庭医学科は、まず高齢者にたくさん会う科です。また、高齢者は一つの疾患だけあるわけでもないので、様々な科目に対する知識を充分にに知っておく必要があります。そのような点で家庭医学科を選びました。元々医者たちは手術に対するロマンがあります。救急室に運ばれてきた人も、手術後数日で普通に歩いて行く方がいますが、そんなドラマチックな経験が、私はそれほど魅力的には感じられませんでした。
むしろ私はお年寄りの方々と来月にも会って、来年にも会って、そういうのが好きです。もちろん大変ではあります。


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この社会では病気の高齢者は
どんな権利を有するのか、尊厳を
認められる高齢者という存在が
あるということがあるのかも疑わしいです。


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若い患者なら1分でできる話をお年寄りは10分はしなければならず、また、私が何かお話しするのも、エネルギーがもっとたくさんかかる方々なので難しいです。コミニュケーションが円滑にはいきませんから。

キム・ナムギル-どうしても離れて暮らしているので、お年寄りも外部の人を警戒する気持ちがあると思います。

ヤン・チャンモ-どうやって知りましたかって?時々、お年寄りから見ると、私たちがどのように見えるのか考えてみると、医療スタッフだとして来るのに実は行商人と変わりありません。大きな鞄に椅子と簡易机やごちゃごちゃ持ってくるじゃないですか。私は春川にある大型マートの向かい側の有名な病院で10年ほど働いたんですよ。それでわざわざ私を紹介するとき「〇〇マートの前の病院ご存知ですよね?そこの病院で私は10年間院長として働きました。」と言うときもあります。すると、お年寄りが何とおっしゃるかというと「あぁ そうなの…?でも、なんでこうしてるの?何か残念なの?」と言われます。診察室の中できちんと座って診療するのではなく、荷物を持って訪ねてくる姿がどこか少し足りない医師のように見えるようです。

キム・ナムギル-それでは、その心のかんぬきをどうやって解くんですか?

ヤン・チャンモ-お年寄りの痛みの治療をたくさんしますが、状態が良くなると少しずつ考えが変わるでしょう(笑)。


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キム・ナムギル-ハハハ、 今はあちこちで口コミで広まって、お年寄りの方も先生をよくご存知でしょう?

ヤン・チャンモ-はい。そういうのはあります。田舎の村はまだ関係が生きていて、これが続き連鎖反応が起こるんです。

キム・ナムギル-その言葉は本当に良いと思います。「関係が生きている」という言葉。

ヤン・チャンモ-あるお年寄りの家に行って痛みの治療をしてから立ち上がろうとすると、お年寄りがこう言うんです。「ところで、この隣のね、〇〇〇おばあさんが最近肩がすごく痛いってね。」 とか。それは私に聞くようにと言うことです。私は「行けということなんだ」と思って、会いに行きます。すると、またそのお宅のおばあさんが「あそこに住んでいる〇〇〇おじいさんが腰がそんなに良くないんだって。」とか。それではまたそこにも行かないわけにはいかないじゃないですか(笑)。でも、冬になるとその風景が本当に綺麗です。1人でいらっしゃるときはほとんど火を燃やさないのに、私たちが行くとすると、お年寄りたちがかまどにあらかじめ火をつけるのですが、その姿がまるで烽火台から信号を送るように、家ごとに煙が立ち上ります。遠くから見ても「あの家に行ったんだな」とわかります。
認知症なのに一人で家で暮らしているおばあさんがいます。畑に出て農作業をして夜を過ごすのは数十年身についたことだからできるんだけど、血圧の薬をのみ忘れるんです。おばあさんに面倒を見てあげる方が必要だと思って聞いてみたら、隣の家に子供が一人住んでいるということです。

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でも不思議なのが、私がその村に来るまで一軒の家も見たことがないんですよ。周りに保育園も幼稚園も何もないんですよ。でも子供が住んでるって言うからすごく不思議で 「えぇ!ここに子供が住んでいますか?何歳ですか?」と言ったら「多分70歳くらいにはなったよ?」とおっしゃってました。そのおっしゃったおばあさんは90歳を越えた方でした。その歳には70歳の方も「子供」なんです。それだけここは高齢化しています。

キム・ナムギル-それでも、イ・ウォンギュ詩人さんに会いに行ったときが先生と会ったあとでした。詩人さんが住んでいる智異山の方も本当に小さな村なんです。ところが田舎の村なんですけど、子供たちがいたんです。なんだかありがたい気がして、その時に子供たちの写真をたくさん撮りました。村に子供たちがいるというのは希望的なことだから。

ヤン・チャンモ-それが実は驚くべきことです。私がここで4年間はたらいているのですが、4年間往診しながら子供たちにあえませんでした。田舎に子供たちがいないのが自然なんだなと思ったんですが、以前、外国のある田舎町を訪問してびっくりしました。とても小さな田舎町に市が立ったのですが、若いお母さんたちから子供たちの声で騒がしくなりました。ところが韓国は田舎に若い人といっても行政福祉センターの公務員ばかりで、街中では全く見かけません。一生同じ人だけに会うと思ったらどうしますか?お互い異なる年代の人たちに会ってこそ、文化的に換気もできるはずなのに、お年寄りにはそういう機会がほとんど剥奪されたんです。

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キム・ナムギル-それは若い人たちにも良くないと思います。みんな都市に出ていくといわれていますが、人生で最も重要なことは都市ですべて学ぶことはできません。お年寄りの方々が単純に農業だけをして生きてきたようですが、その人生の知恵はとても広範囲じゃないですか。そのようなことを後代が受け継いだり、学んで行かなければならないのに、お年寄りの知恵を子供たちが学ぶ機会さえなくなるのが残念です。

ヤン・チャンモ-それが本当に残念です。年配の方々と話をしてみると、一言一言がとても哲学的で洞察力があるのですが、若い世代はそういうことをよく知らないし、接する機会もあまりありません。そして、基本的に年配の方々は人に対する態度が私たちの世代とは非常に違います。
先週、あるおばあさんの家に行ったんですが、私たちの診療が終わったらご飯を食べて行けとクジポン(針桑)を出しました。その村にクジポンの木が1本しかないというのに、それがまさにおばあさんの家の裏の坂道にあったんですよ。クジポンは取るのがとても大変で虫も多いから冬のジャンパーを着て長靴を履いて、また、腰も良くないのに杖をついて上がって取ってきたんです。私だったらやらないと思うんですけど、私たちをもてなすために、その大変なことをされたんですよ。お年寄りにとって、私たちは見知らぬ他人であるはずなのに、歓待してくれる気持ちが感じられます。そういうのがこの時代の遺産なんじゃないかと思います。特定の国の特定の世代が持つとても大切な姿ですが、今は私たちや次の世代では見られない姿だと思います。韓国に必ず守らなければならない世界文化遺産があるとしたら、私はそんなお年寄りの気持ちだと思います。そのような面で韓国社会が世代間であまりにも断絶していて残念です。それはお年寄りにとっても、私たちや次の世代にとっても、あまりにも大きな損失です。

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キム・ナムギル-それでも、私たちの時代には「隣人」という言葉が生きていたじゃないですか。アパートの一つのラインを知っているのではなく、一つの棟に誰が住んでいるのか全てわかりました。学校から帰ってきたのに母が市場に行って家にいない日には、上の家も前の家も関係なくドアを開けて 「入っておいで」といいました。お母さんと市場に行って本当に嫌だったのが、海苔を一束買ってくるのに一時間かかったんです。海苔を買いに行く途中で、ずっと人に会うから。二人で立って話していると、また誰かが来て三人になり、思う存分話していて一群が抜けたら、また他の人たちが来て絶えず続くのです。幼い頃はそれがとても大変でしたが、今はそのように話をして情を交わす隣人がいません。最近は不便で難しいことをあまりしないようにしてるじゃないですか。以前は難しい関係を馴染みに変えようと努力したり発展させようとしましたが、今はそれにもまして直系家族である両親ともそんなことがないんですよ。

ヤン・チャンモ-そうですね。私は主にケアの仕事をしているので、後日、歳を取った時にどんなケアを受けることかできるのか、そう思わないわけにはいきません。今私がしている仕事も結局私の未来と関連した仕事だと思うんですよ。今の子供たちは病気になったら病院に行き、学校が終わったら塾に行きますよね。親が経済的には面倒を見ますが、情緒的には子供たちの面倒を見る時間もないし、条件もありません。また、今はほとんどの介護サービスが外部から投与されるため、主養育者から温かく親密な世話を受けた経験の少ない子供の世代が、上の世代の世話をすることが果たして可能なのかわかりません。

キム・ナムギル-誰かの食事を用意することさえ、出前アプリで簡単に解決できますが、便利になるのと比例して、本当に大切なものをすべて逃すのではないかと思います。後には介護もインターネット講義で学ぶのではないでしょうか?

ヤン・チャンモ-はい、そうです。すでにそうなっています。これからもっとそうなると思います。経験を通さずに、勉強して資格を取って介護を職業にする段階まで来ました。今は自分が時間を作って親の世話をするのではなく、介護サービスを買うためにお金をもっと熱心に稼がなければならない状況なんです。

キム・ナムギル-先生が放送で「道を発見するには道に迷う過程が必要だが、道に迷うには勇気が必要だ。」それで、道に迷う過程でこの仕事を見つけたとおっしゃった内容があります。もう夢を見つけて、今もずっとその過程の中にいらっしゃいます。

ヤン・チャンモ-私がこの仕事をする前は、医師という職業人、そして市民活動家という2つのアイデンティティがあったようです。

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みんな都市に出るといいますが、
人生で一番重要なことは
都市ですべてを学ぶことはできません。


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業務が終わると、地域社会の活動を一生懸命したのですが、そうして10数年間忙しく暮らしてみると、力が足りなかったんです。そうしているうちに道に迷いました。医師としての懐疑感もあって、あれこれ悩みが多かったです。握っているものを手放せないことからくる悩みが大きかったようです。そのとき、妻がやめろと言うんですよ。お金は少なく稼いでもかまわないから好きなことをしなさいと。だからこの仕事ができたのです。

キム・ナムギル-では、道を見つけたのですか、それともまだ道を探しているのですか?

ヤン・チャンモ-今私がしているこの仕事が実はちょっと漠然としています。高齢者の状況が変わる可能性があまりありません。私が往診に行って「食事はこうして、運動はああして」いくら小言を言ってもよくは変わりません。生きてきた慣性があり、変わらない環境があるからです。そこにまた韓国社会でお年寄りが受けるおもてなしのようなものがあるじゃないですか。特に病気のお年寄りに対する、そういうことがすごく胸が痛くてもどかしいです。
先日、ギルストーリーの映像を作るために訪ねてきた監督が温かい話をしてくれました。子供がちょうど一歳を過ぎたところですが、歩き始めるから敷居が気になり、角のあるすべての家具が心配になるということです。ぶつかったら大怪我するかと思って、そういうものを全部片付けたり無くしたりしているそうです。でも私が行くお年寄りの家にも子供がいます。その子は平屋に住んでいますが、実は5階建ての家です。なぜなら寝室からリビングに出てくるときに段差が一つあって、そのリビングからキッチンに行くときに段差がもう一つあります。

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じゃぁ、子供にとっては2階じゃないですか。でもそこにキッチンから玄関に出るんですけど、大きな階段が2つあるんです。それではもう4階です。玄関からキッチンの庭に出るとき、1階がまたあって。だからその子は5階建ての家に住んでいるわけです。でも継ぎ目が壊れて、歩くときによろよろします。家の奥の間からトイレに行くとき、その5階の階段を全部通って行かなければならないので、よく転んだりもします。聞いてみると、あそこで転んで、またあちらで転んでだそうです。その子が誰かというと、90歳のおばあさんです。今ちょうど一歩を踏み出す子どもと90歳のおばあさんの体は変わりません。彼らにとって敷居や角が危険なのも違いありません。それでも、世の中の扱いは天地の差です。韓国社会は子供の敷居はなくしてくれますが、おばあさんの家の敷居は取り除いてくれません。この社会で病気の高齢者はどんな権利を持つのか、尊厳を認められる高齢者という存在があるということがあるのかも疑わしいです。 でも、お年寄りにずっと会っているじゃないですか。変わる余地もないこんな田舎でですね。それでちょっと漠然としたんです。それでもずっと道に迷わずにこの仕事一筋だということは、私の妻、チェ・ヒソン看護師の先生、チェ・ジェヒケアマネージャー、そしてお年寄りの温かさのようなものがあるからではないかと思います。

キム・ナムギル-あぁそうだ、私たちの今回のキャンペーンの話を少ししようかと思います。
今回進行するクラウドファンディングの名前を私たちがワークショップオーディションまで悩んだ末に「밤새 안녕하셨어요バンセンアニョソッソヨ(よく眠れましたか)」 ということに決めたんですよ。いつも両親に電話するとき「ゆっくりお休みになりましたか」と挨拶するじゃないですか。


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ヤン・チャンモ-バンセンアンニョソッソヨ?あぁ、クラウドファンディングの名前、いいですね。

キム・ナムギル-実は私は両親と一緒に住んでいるので、「バンセンアニョソッソヨ」と挨拶しません。一緒に住んでいて電話もよくするほうでもあります。地方撮影をしに行っても食事はしたのか電話して、またブツブツ言う人が必要だったりするからです(笑)。

ヤン・チャンモ-私は苦手です。キム・ナムギル俳優さんのように今おっしゃった日常的な優しいようなものはありません。こういうのは苦手なんです。たぶん日常的な世話がもっと重要なのに…。私は両親と親密ではなく、本当にうらやましい姿です。

キム・ナムギル-こうやって放送に出演するのをご両親がご覧になったら…。

ヤン・チャンモ-それも、あまり見ないんです(笑)。私の仕事にあまり関心を持っていません。たぶんもう少しお金を稼げたかも知れないのにというのもあると思います。どうしてああやって暮らしたいんですかね。ハハハ。

キム・ナムギル-私の母も「あなたは私が見るにお金を貯めるのが難しい」と言います。ハハハ。