CUP vol.1
個人の趣向はどのようにインスピレーションされるのか



p.96

インタビュー
個人の
趣向はどのように
インスピレーションされるのか

Inspiration   03


p.100

박소희.(パク・ソヒ)

一緒にいる
瞬間から
得るインスピレーション


p.101

Prologue.

ボタニカルデザイナーという職業がある。植物という意味の Botanical という単語に名詞 Designer が付いた言葉だ。言葉の意味をそのまま読めば、植物をデザインする職業を持つ人になる。普段フローリストという職業はよく聞くが、ボタニカルデザイナーはやはり不慣れだ。花を作って飾ることとは違うところがあるのだろうか
今日会う <エルトラバイ(Elle Travaille)>のパク・ソヒ代表は自分を自らボタニカルデザイナーと呼ぶ代表的な人物だ。作業中の空間を構成する花卉だけでなく、その周辺の環境までもすべてに気を使っているからだ。与えられた空間を作るというよりは新しい空間を作り出すことにより近い。
最近では同僚フローリストと共に構成されたプロジェクトグループ「ゼア ビー(There Be)」 としても活動している。生きている植物が枯れていく過程を一つの芸術に昇華させた作品も披露した。周辺に散らばった彫刻を編んで自分だけの新しい空間に変貌させているパク・ソヒ 代表と新沙洞の <ElleTravaille> 作業室で会見した。


INTERVIEWER チョ・ヨンジュン | PHOTOGRAPHER キム・ヒョンソク


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作家さんについて簡単な紹介をお願いします。
─── こんにちは?パク・ソヒです。フローリストをベースにした作業をしています。フランスのパリで勉強して資格を取得しました。韓国に戻ってからは造園作家というよりは空間デザイナーに少し近い活動をしています。自然な素材で空間を満たす仕事をしているので、それを言い替えれば造園作家と表現されたりします。だからといって園芸まで直接するのではないので、自らを「ボタニカルデザイナー(Botanical Designer)」 と呼び、そのように紹介しています。

最初にフローリストの仕事をしようと思ったきっかけはありますか?
─── 実は初めやりたかったのはショコラティエ(Chocolatier) でした。そんな技術が一つのあればおばあさんになるまで一生何かをできると思ったし、チョコレートを作ることに何かあるように見えたんです。「どうせやるなら私の好きなフランスのパリに行って習ってから韓国でアトリエを作ろう」 という気持ちを持ちました。それで、すぐにパリに向かいました。しかし、実際に始めてみると、ショコラティエになる過程は、私が思っていたことと大きく違いました。


p.104

「私の友達がこんなに上手
なのに、私ももっと上手に
なりたい」 という気持ちが
私のインスピレーションと刺激の
源泉になるようです。



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チョコレートを作ることは一週間でやめてしまいました。そのとき、私の年齢は既に30歳でした。通っていた会社まで辞めてショコラティエになるとフランスに行ったんですよ。再び韓国に戻るのはとても恥ずかしかったし、何よりも私の人生を収拾したかったんです。一方ではそんな好きなパリでずっと暮らしてみたかったんです。そうして出会ったのがフローリストという職業でした。当時の私はシャクヤクが何かもわからず、バラの花とかすみ草ぐらいしか知らない普通の人でした。ある日訪れたフローリストの教育機関で、学校の生徒たちが壁に絡まるツタのある庭でハサミを持って花を直接切って何かを作っている場を見て完全に魅せられてしまいました。そのようにして私はフローリストになってしまいました。

パリという都市を愛するようになった理由があるのでしょうか?
─── 私はフローリストの仕事をしながらも「本当の」自然のあるところにあまり興味を感じませんでした。むしろ都市に存在する自然がはるかに興味深かったんです。都心の中に造られている公園が面白く、個人が造った庭園のようなところで楽しさを感じました。パリという都市がそのようなものをよく持っているように思いました。街全体がきれいで美しいと感じられるというか?


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もちろんフランスで過ごしながら留学生としての生活が大変で泣きながら家に帰るときも多かったです。ところが、そのような瞬間さえ世間を歩きながらエッフェル塔を眺めノートルダム聖堂を見れば、皆慰めになるんです。いくら大変でもパリという街自体がきれいで、すべてが許されたようです。これまでもパリに毎年行くようにさせた理由でもあります。

パリという都市から得られるインスピレーションが現在の仕事や活動に影響を与える部分もあるのか気になります。
─── 無理やりある意味を作って繋げたくはありません。ただそこでの縁が今の私の姿に影響を与えた部分はあるようです。特に、フランスで初めて働いた職場の社長が代表的です。その時の私は何も知らなかった子供でした。学校では資格試験のための技能的なことだけは教えてくれたのですが。私にもっと多様な経験をしてみなければならないと言いながら、多くの現場を紹介してくださった方がその社長でした。その方も空間を演出していた方でした。そんな経験が今の私を作ったようです。

作家さんにとって、インスピレーションになるものって何がありますか?
─── パリの学校を初めて訪れたときの場面が私にはまだとても新鮮な場面として残っています。その場面があって今この道を歩いているようです。
今の私に一番大きな影響を与えるのは、周りにいるアーティストの友達だと思います。20代のとき初めて会って、今までずっと一緒に成長してきた友達です。様々な分野で各自の役割をきちんと果たしている友達が多いです。その友達に多くのインスピレーションを受けているようです。特に「私の友達がこんなに上手なのに、私ももっと上手になりたい」という気持ちが私のインスピレーションと刺激の源泉になるようです。だからといって競走する気持ちは少しもありません。お互いに対する尊重だけが土台になっています。

作家さんが仕事のインスピレーションを得るために努力することにはどんなことがありますか?
─── 確かに私は人から受けるエネルギーとインスピレーションがはるかに多いようです。一緒に働く人々から受ける影響というべきでしょうか?仕事をするときも確かにそういうことがあります。
大企業と商業的な仕事もたくさんしますが、才気はつらつとしてアイデアの良い新生デザイナーの友達と一緒にいるとき、楽しく動くポイントが確実に生まれるといえるのではないでしょうか?


p.113

もちろん収益的な面では大企業とコラボレーションする方がはるかに役に立ちますが、私のブランドである < エルトラバイ> において実験をしてみようというふうに周りの友達、デザイナーたちとも一緒に働くことになるようです。そして、そのような経験が再び循環して商業的な活動の構想に活用されたりもします。

商業的な活動と創造的なコラボレーション、両方のバランスを維持しようという意図もあるのでしょうか?
─── もちろんです。新しいクリエイターが提示する最小限のガイドラインに於いて、その中で <エルトラバイ> だけの姿を創造していく過程は自らの成長にも非常に重要だと思います。2つの部分がつながります。このような活動を見て連絡してくる大きなクライアントもありますからね。クリエイティブな挑戦を望んでいますが、気軽に乗り出せなかった企業が、私の他の創造物を見て連絡してくるのです。無理してバランスを保っているのではなく、自然に両方を行き来できるようになるようです。
一つ明らかなことは、私がそのような仕事ができるように基盤を作ってくれる周りの人が本当に多いということです。ある瞬間を見ると、あまりにも多くの助けを受けて、私の実際の能力よりも過大包装されているような感じを受ける時もあります。(笑い)



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私はただ作品を
感じた人が
感じた分として
残しておきたいです。



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今は新沙洞に作業室を置いていらっしゃいますが、韓国に帰ってきて初めてアトリエを開いたところは景福宮近くの西村という町だと聞きました。
─── 20代の時から光化門周辺の町が本当に大好きでした。光化門ロマンといいましょうか?実は今のこの新沙洞の作業室は仕事が多くなり、本当に必要に応じて移ってきたところです。最初にアトリエを作るときは、私のロマンがこもったところから始めたかったんです。現実的な問題で光化門から西村まで移ることになりましたが。後にこの空間でキム・ジョングァン監督の <ザ・テーブル> という映画も撮影されたりもして、私には思い出の多い場所になりました。

当時は今とは少し違ってウェディングフラワーやワンデーグラスのような作業を主にされていました。
─── 実は私も大きな未来を描きながら生きる人ではなかってので、ただそのときに出きることをしたようです。初めて仕事をし始めたときで、特にどこかの会社から連絡が来たり、コラボレーションをたくさんしていた時でもなかったですから。ひとつ記憶に残っているのは、週に一度は必ず「友達の日」をしたということです。先ほど話したアーティストの友達を呼んで、一緒にワンデークラス(1日だけ楽しむ体験教室)を装った創作遊びなどをしたんです。


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ただひとつだけ私が望む
のは、意味は別にして ただ
私の作品がカッコいい
ということです。



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問題はその友人達が花を綺麗に挿すとよりは、自分たちの個性のままに作るということです。そのような不思議なことをしていると、そんな友達から私はまた別のインスピレーションを受けるんです。ひどい場合、ある友達は「私はこんなに派手なのは嫌だ。ただ一つの材料だけを使う。」 と言ったりもしたんですよ。(笑い)

作家さんが活動している「ゼア ビー (There Be)」 作業についての話も少しいいですか。構成されたばかりのプロジェクトグループです。
─── プロジェクトグループ ゼア ビー(There Be) は現在、3人のフローリストが参加しています。3人の性向が少しずつ違います。わたしはテクスチャー(Texture)を最もよく扱って、こちらに興味があります。例えば、緑色は全部同じ色に見えるかもしれませんが、質感や表現方法によって違う緑色になることがあるかもしれませんし、そのような部分が私は面白いです。
共にしている ハ・スミン室長は色に関心が多く、果敢に表現することが好きです。また、イム・ジスク先生はラインのようなディテール部分がお上手です。このように3人が集まると、それが相互補完になって作業が面白くなるんです。


p.121

個人作家として活動する時とプロジェクトグループとして活動する時、何か違う部分はありますか?
─── 私はゼア ビー(There be) と一緒にする作業が大好きです。ひとりで作業するときと違って、プロジェクトグループの中ではすべての過程を共にします。お互いにフィードバックを交わすことができるという部分が特にそうです。ひとりのときは何か入ってきたら私が全部決めて責任を負わなければならないのに、プロジェクトの中では私より上手な先生二人がそばにいるわけです。私たちみんなそれが大好きです。お互いに分かち合えることがあるというのがいいことです。もっと応援してくれて、もっと助けてくれて。そうしながらエネルギーを得るんだと思います。

ゼア ビー (There Be)で活用する植物はすべて生きている植物です。時間によって消滅する過程までも一つの作品として考えるとおっしゃっていました。どこから始まったアイデアですか?
─── 実は造花でも素敵に作ることはできますよ。デパートのようなところを飾る時、必要に応じてセッティングしたりもします。しかし、より自然なことは生きているものが死んでいく過程なのではないですか。そんな自然な姿を見せたかったんです。造花ではプラスチックゴミだけを再生産するという感じもありました。


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そうするうちに自然に展示にもっと気を使うようになるようです。私たちが自然で綺麗に乾いていく過程まで考えながらデザインすることはできますが、「こうなるだろう」と確信することはできないんです。そもそも乾きやすい姿まで考えながら、全体的なデザインをしなければなりません。今 乾いていく間に私たちが考えられない場面が演出されれば、もっと興味深く感じるようです。最初から最後まで結果値が同じ絵画や写真作業とは異なり、私たちの作業は一種の「感覚 展示」でもあります。あらかじめ実験してみることもできないし、同じセッティングをしたとしてもその都度、環境や状況によって結果は変わるのですから。しかし、その過程の中で観客が感じる変化の中、新しいインスピレーションが確実にあると思います。

パリと韓国、西村と新沙、個人的な作品とプロジェクト作業など本当に多様な姿が作家さんの中に溶け込んでいるようですが。作家さんの本当の姿はどの辺にあるのでしょうか?
─── こうやって見ると、だからといって小さな花は扱わないわけではないのに、ある瞬間 石を敷いていたり、あれこれすべてやっている姿を見ると、私が考えても「私はなんだろう?」と思うときがあります。知り合いの方が自分が思う <エルトラバイ> の姿は「柔軟さ」だとおっしゃったことがあります。


p.124

一番大切なのは、
可愛くて綺麗に老いた
おばあちゃんになることです。
そこに花一輪、
このように!


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だから、ウェディングフラワーもして造園もして展示もしながら、あえて一つの方向性を掴み、柔軟に強調させる意味でした。その話を聞きながら、いつかこのような質問が来たら必ずこのように答えなければならないと思いました。
それで私は <エルトラバイ> と私が維持しなければならない強みが柔軟さのようなものだと思います。パリにも、韓国にも、西村にも、新沙にもすべて私がいたようにです。

もし作家さんの作業が誰かにどんな感情やインスピレーションを伝えていたら、またそれがどんな姿だったらいいなと思ったことがありますか?
─── ありません。(断固) それはひたすらその人の感情だから私がコントロールしたくないです。反対に私もそうなんです。ある作業に対して「この作品はどんなことを表現したんですか?」のような質問をたくさん受けると、私にはそれが若干暴力的に感じられることもあるんです。「ただ私が好きなことをしました。」これが率直な私の気持ちなんですが、必ずどういう答えを求めてか、作家が考えたことを自分も考えたいと思いながら執拗に尋ねてくるような気がして。私はただ作品を感じた人が感じる分として残しておきたいです。


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一つだけ私が望むのは、意味は関係なく私の作品がカッコいいということ?綺麗で美しいとかじゃなくて、だだカッコいいってこと!

最後の質問です。作家さんが歩いていく道の先にはどんな姿があるのでしょうか?
─── 私は花を最初に始めた時からおばあちゃんになっても花をしたいと思っていました。ところが今現実は運動服を着て袋を運んで土をすくう、いわゆる肉体労働作業がより多いです。おばあちゃんになった時は、必ずヴィヴィアン・ウエストウッドの綺麗な服を着て、お金持ちの町の高級邸宅の間に花屋を一つ建てたいです。優雅にお茶を飲みながら。こういうのあるじゃないですか。フランスのようなところに、入り口に四角い石がアーチ型のドアのようになっていて... 入ると花がいっぱい。一番大切なのは、可愛くて綺麗に老いたおばあちゃんになることです。そこに 花一輪、このように!



p.129

Epilogue.

パク・ソヒ代表の最後の答えを聞きながら、大笑いせざる得なかった。可愛くて綺麗なおばあちゃんになるのが夢だというその答えがインタビューが間もなく終わるということで気を緩めているところを突いて入ってきた。心の中に長く抱いていなければ出せなかったと思う。長い歳月が流れた後に会える自分の姿をどうしてこんなに明確に描がくことができるのか?一つ明らかなことは、その答えが興味深い絵のように聞こえただけではないということだ。パク・ソヒ代表が聞かせてくれた話の中の一連の過程で垣間見ることのできた柔軟さながらも大胆な姿は、いつかは必ずそのような姿で自分に似た空間を一つ開くことになるのではないかと期待させる。どこにどんな姿であっても自分に対する定義を下すことができ、次のステップに置かれる自分の姿を絶えず描いていく彼女だからこそ。<エルトラバイ> が今後披露する作業を期待しても良さそうだ。