今回の母のこと 運転が解禁後で良かった
自分のペースで あっちいったり こっちいったり 自由に行き来できる(*^^*)
こんなに有難いことはない、と今更ながら実感しています

明日がくることが当たり前だと思い生活していました
自分が置かれている環境に不満をもって 文句もいっていました
運転出来ることも 当然 当たり前で なんだ疑いももちませんでした
それが 一転 ( ノД`)…

そういえば、運転出来なかった時に 今まで気づかなかった
いろんなことが見えてきたっけ
散歩したときに見える風景、感じる空気、街の様子
自転車で走るときに感じる風、匂い
バスや電車から見える車窓
そして、人の心

違う角度から世の中を見れたように思います
それはそれで、楽しかったし良かったけれど
今は、より早い移動手段として 運転出来ることに本当に感謝する気持ちで一杯


出来ていたことが出来なくなるって、結構シンドイ
だから、今 右手が使えない母は ものすごく歯痒いだろうな

出来ないが故に 「ごめんね」「すみません」 って、
悪いと思っているから 心から出る言葉なんだけど、この言葉が切ないことは
私が一番知っている

母は 叔母の看病をずっとしていたから される方より させてもらう方が
どれだけ幸せか 染々感じている と言います

その通り、 だから させてもらっている今 私は幸せを感じます

母の立場に立って 右手を固定した状態で何時間か試してみました
箸が持てない、字がかけない、トイレも不自由、
手を合わせられないから手が洗えない、洋服が着れない、
利き手じゃないと フォークやスプーンが上手く使えないから
食事した気になれない
バランスがとれないから 歩く時も 寝てるときも 疲れる

あーーーって 叫びたくなった!


ふと 頭をよぎったことが.....
いつか、私も 右手が右足が、左手が左足が、上半身が下半身が、
もしも もしも 使えなくなるときがきたとして
その時は その時で 受け入れるだろうけど、
なるべく人には迷惑をかけたくない と、思うはず
でも、人の手をかりなければ出来ないことがあるでしょう

だから だから 今 何でも出来るこの身体が
誰かの何かの役に立てるのであれば 何でもさせてもらいたい
使ってほしい

せっかく、五体満足に なに不自由なく生活出来る身体がここにあるのだから

病気になって こんなことを気づかされた自分がここにいます

自由になる身体に 心から感謝なのです