ここ数日間、色々なことがありました


退院の整理をしていると、病院の机の中から治療計画書が出てきて


それによると、癌の治療のことなど何も書いていませんでした

癌は背骨に転移していない!・・・?

(30年間転移なし・・凄い叫び)


どうもこういうことらしい、

最近痛みを訴えていた叔母、おう吐を伴うような強い痛みのため

救急車を呼んだものの、受け入れ先病院が中々決まらず(かかりつけの病院にも受け入れてもらえず)

個人病院に搬送されました

そこで、CTなど諸検査をしていただき、その所見が


肺に水が溜まり、第3,4の背骨の色が変わっている状態で、腎臓結石が見つかった


ということであり、


それを、叔父といとこは、背骨の色が変わっている=癌の転移

と思ってしまったらしのです


それで、かかりつけの総合病院(入院した病院)に転院させたらしいのですが


こちらの病院で再度検査をした結果も同じでした


薬も癌に対するものは処方されていないようですし、
念のため退院の時に確認したところ
癌の転移は認められないとのことでした


しかも、痛みは入院当時に比べると改善されているので

痛みの原因は、筋肉がなくなり体を支えられなくなり、腰痛によるものではないかと


それ以上の詳しい検査をしてくれたわけでもありませんが

ただ、痛み止めの薬の処方だけです


これだけの手術をしているのだから

生きていること自体を感謝しないと、
少しくらいの痛みは我慢しないと
くらいの言い方だったらしいのです


病人は、そんなことちゃんと感謝していますよ

しかも、年寄りだし、いいたいことも分からなくもありません

でもね、言い方ってあるでしょ

ツヨポンのドラマ参考にしてくださいよ

ホントに

叔父達は、病院に見放されて退院宣告をされたと思っています


もし、こちらの病院の見立てとやらが正しいとしても


現在、体重28キロしかなく栄養失調な叔母に、病院でただ痛み止めの処方のみを

しているのならば、退院させて自宅で栄養と刺激を与えた方が良いことは間違えありません


叔父達と病院とでは認識のずれはあるにせよ、自宅で暮らすことに対しては意見が一致です


ただ一つ、ここで分かれるのが介護認定の問題です


叔母は、痛さと戦っていることには間違いないのです


ただ、生きることえの思いが強い人で、歩けなくなることがいやなので、

はいつくばっても時間がかかっても歩いてトイレにいきます


これを病院側は、自立と考えるらしいのです


ケアーマネージャーさんは、叔母の状態をみて
ある程度の認定を受けられると

判断していますので、病院との違いが生じてしまいました


しかも、認定がおりるまでに一ヶ月から二ヶ月かかるそうなんです


ここで、勉強になったことがあります


叔母のように、胃も胆嚢も腸も半分なく体重が30キロ以下だという時点で、

もう十分認定がうけられたはずなのに、今まで手続きをしませんでした


私達の認識不足があったのです


叔母の状態では、いつなにがおきてもおかしくなかったことはみんな分かっていながら

落ち度でした


叔父などはもう動転してオドオドしていて何もできないんです


なので、認定などまってられません


今回はベットをはじめ最小限なものは実費で準備しました


母の機敏なさい配です


我が母ながら、カッコよかったです



そうそう、なぜ私達親子が叔母にこんなに思い入れがあるかというと


母と仲がいいすぐ下の妹であります


そして、自分にも他人にも厳しい叔母でしたので娘達二人(双子)

が18歳の時に家出してしまったんです


なので30年前の叔母の大手術の時、娘達は知ることもなかったのです

母が全面的に叔母の面倒を看ました

手術後も私の実家で1年近く療養していたんです


私も結婚前だったので、叔母と暮らしましたし通院の時は付き添いました


主人とも付き合っていた時期だったので、主人のことも一番始めに紹介しました


それにもまして、私が叔母と似たような年に場所は違えど同じ悪性の病気になり


なんだか叔母とは因縁があるように思えてならないのです



昨年の地震で消息が分かった娘達と少しづつ距離を縮めて、

今回は、多分娘達が叔母の面倒を看ていくことでしょう

もちろん、みんなでも協力しますよ

でも、こんな日を叔母はまっていたのでしょうかね


私も何十年ぶりに会うことができたいとこと、たくさんお喋りすることができました



しかし、今の医療の実態と介護認定制度・・・・どうなんでしょうか


明日は我が身です


人任せではなく勉強しておかなくてはいけない問題ですね



長々とありがとうございました










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