我が家はね、すごいんです。
きょうだいゲンカが。
夜、8時ごろ、犬の散歩に行くんですね。
いろんな、子どもたちの同級生の家の前も通るわけです。
でも、みんな結構静かで。
みんな、穏やかな夜を過ごしているのかな![]()
そんなことを思いながら、
犬と夜道の静寂をふんだんに味わいながらいつも歩いてます。
でね、帰ってくるわけですよ。
そしたらね、3、4軒手前ぐらいでね、聞こえるわけですよ。
叫び声とか。
ケンカしてる声とか、ケンカしてる声とか。
お風呂で長女が「鬼滅の刃」の歌をオペラ調で歌う声とか。
なんやったら普通にしゃべってる声もめっちゃデカくて。
「ああ、帰ってきたなあ…。」としみじみ感じてから、家に入ります笑
そんな我が家なので、きょうだいげんかももう、しょっちゅうです。
でも、まあ私も年子の姉弟という環境で育ったので、
それはそれは壮絶な姉弟げんかをしていたので、
我が家の子どもたちのケンカぐらいでは、「ケンカするなー!」とはなりません。
私は、もっとすごかった。笑
そして、きょうだいげんかは、どんな心理で育っていくと、激しくなるか、ということも、
身をもって知っているんですね。
だから、自分の子どもたちには絶対それをしないって決めてます。
それは、きょうだい同士で、比較すること。
私は、弟に対して、劣等感の塊だったんですね。
何かにつけて、器用で正反対だった弟に対して、劣等感しかなかった。
だから小さい時から、比べられる言葉が大嫌いでした。
親も、比較対象がどうしてもきょうだいになってしまうことも、
親になった今ならわかるんですが。
でもその劣等感が、きょうだいげんかを激しくさせたのでした。
だから、自分の子どもにも、自分が抱いた思いだけは持たせたくないな、って思います。
あんなに苦しかった劣等感も、そうやって自身の子育てに活かせられるんだから、
人生って無駄がないですねえ笑
ちなみに我が家では、長男と長女が同じピアノ教室に通っているんですが、
たまに長女が聞くんですね。
「おにいに(長男)よりも上手い?」って。
でも、「長女はおにいにじゃないやろ?おにいにと比べたって意味ないやん。昨日の自分よりも上手にできたかだけ比べてみて。」と言ってしまいます💦
私もきつい言い方ですね、でも、ダメなんです。
そのことばに反応して、小さい時の自分がチラッと出てきてしまう笑
いつも、自分の子育てを小さい頃の私が胸の奥に住んでいて、監視しているんです。![]()
でも、子どもたちのきょうだいゲンカを見ていると、
いろんなことが見えてきます。
弱い者(次男)は全力で向かっていくけど、よく見たら長男も長女も手加減してるんですよね。
「ここはやっちゃいけない」ってわかってる。
けど、どうしても泣かしてしまうわけですが。
でも、友達とでは、こんなに思いっきり取っ組み合いもできない。
自分のストレスの発散だったりとか、かまって欲しいときだとか、遊んでもらえなくて寂しい時とかに、
ケンカは始まります。
それができるのは、きょうだいだけなんだなと思うと、また見方も変わりますね。
私の場合、今思うと、中学ぐらいになった頃には弟の方が完全に手加減してましたね。笑
私は常に全力。でも勝てなかったですが。笑
その後、弟は17歳という若さで亡くなってしまったのですが、
お互い高校生になった頃はもうケンカはほとんどなく、むしろ自慢の弟でした。![]()
そんなわけで、今思えば人との仲直りのコツ、とかも、きょうだいげんかで学んだような気がします。
自分の子どものきょうだいげんかで、気をつけていることは、
こっちはなるべく感情的にならず、おさめていくことですかね。
こっちが感情的になると、また子どもも、再燃したりするから、余計疲れるんですよ。笑
でも、人間関係のルールとしてやったらあかんこととか、社会に出たらそれはルールに反することなどは、
必ず伝えます。
それと、やられた方の痛みも伝える。
「痛いって言ってるで。痛かったなあ、そんなんされたら嫌やなあ」と、寄り添い、
相手に伝えることで、やられた方も気がすむのか、落ち着くのが早いです。
「私だって叩かれて痛かった!」って相手が言えば、また同じ言葉を言う。(母、棒読みの時もありますよ笑 でもいいんです)
母は結局どっちの味方なんだか、という状態で飽和状態で終わることが多いです。
すぐ仲直りして遊びだしますし。
結局は、そうやってフォローがいるのでしんどいんですけどね。
疲れてる時とかは、こっちもイラッとしますし笑
でも、たいがいは思春期をピークに落ち着くのかなと期待しつつ笑
今日も試合に挑みます。笑


