ツバル日記2 (Tuvalu Diary2)
今日のテーマは、「ツバル概要2」!笑
【歴史】
ツバルに人類が到達したのは紀元前のことと考えられる。トンガやサモアなど西ポリネシアから航海カヌーでやってきたポリネシア人(あるいはラピタ人)がこの島々の最初の居住者である。
ヨーロッパ人が訪れたのは、1568年にスペインから来たアルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ (Alvaro de Mendaña de Neira) が最初である。植民は行われなかったが、奴隷貿易業者や捕鯨船員などがしばしば訪れていた。
1850から1875年に、住民は労働者としてハワイやタヒチ、ペルーなどに強制連行された。そのため諸島の人口は急激に減少した。
ツバルは、1892年にエリス諸島という名前で、イギリスの保護領のギルバートおよびエリス諸島の一部になった。1915年に、北部ギルバート諸島(現キルバス)とともにイギリスの植民地ギルバート・エリスとなった。1974年に、植民地内の人種の違いから、ポリネシア人の多いエリス諸島はミクロネシア人の多いギルバート諸島(後のキリバス)との分離を投票で決めた。そしてエリス諸島は、ツバルという名でイギリスの植民地として分離した。
1978年10月1日にはイギリス連邦の一員として独立が認められた。 1987年には国際連合の最貧国リストに掲載された。
1991年、プロテスタント(イギリス国教会)系であるツバル教会を国教にする法律が可決した。1995年の独立17周年記念日には国旗の図案を変更したことがある。一般公募約300点の中から赤・青・白の3色で構成され国章を左に、旧国旗の黄色の星を白に変更した星を右側にあしらった学生フィレモニ・パッシのものが選ばれた。これは海面上昇問題に際し英国が冷淡な態度をとったことに抗議したものと思われ、当時の首相はイギリス連邦脱退をも前提としていたが、1997年には政権交代により旧国旗に戻される。
【政治】
ツバルは立憲君主制、議院内閣制をとる国である。現行憲法は1978年10月1日に公布されたもの。
イギリス連邦に加盟する立憲君主国(英連邦王国)であり、国家元首にはイギリスの国王を戴いている。現在の元首はイギリス女王エリザベス2世。イギリス王の名代として、首相の助言で任命される総督が存在する。
行政は首相を筆頭とする内閣が担当する。首相は国会議員の中から互選され、総督により正式に任命される。閣僚は首相の指名に基づき、総督が任命する。
立法は一院制の国会Fale I Fonoが担っている。定数は15議席で、議員の任期は4年。議員は国民の直接選挙により選出される。ツバルに政党は存在しない。
最高司法機関は高等裁判所。ツバルを構成する9島のうち人が居住する8島には、それぞれの島内裁判所が置かれている。
【地方行政区分】
厳密に言うと、ツバルには行政上の下部組織がない。それは人口が少なすぎるためだが、この国は9つの島(環礁)に分けることができる。国名の由来にあるように、かつては人が住める島は8つだけで、ニウラキタ島は当時無人島だった。9つの島を次に挙げる。
フナフティ島 (Funafuti)、ナヌメア島 (Nanumea)、ナヌマンガ島 (Nanumaga)、ニウタオ島 (Niutao)、ヌイ島 (Nui)、ニウラキタ島 (Niulakita)、ヌクフェタウ島 (Nukufetau)、ヌクラエラエ島 (Nukulaelae)、ヴァイツプ島 (Vaitupu)
【地理】
ツバルは、土地がとても貧弱な国でもある。飲み水に適した水はほとんどなく、土地は農業には適していない。タロイモ、ココナッツ、バナナなどが自給のために生産されている。
ツバルは海抜が低いため、海面上昇に対して特に脆弱である。近年では、潮の高いときには地中から海水が湧き出し、畑に侵食して作物が被害を受けている。井戸の水も淡水から塩水へ変化しつつある。また、様々な要因から砂浜が削られる、海岸の植物が倒されるなどの海岸侵食も進んでいる。海水温の上昇によってサンゴ礁が白化し、漁獲高も減ってきている。
ただし、実際には島の沈没は海水面の上昇ではないという説もあり、このようなツバル国の対応やマスコミの間違った認識による報道に対して批判の声もある。
2004年2月中旬に、異常な高潮によって島の建物・空港などが侵水した。
【経済】
ツバルには、天然資源がほとんどないため、その収入の多くは海外の援助に頼っている。主要な産業は、漁業と観光業である。ただし、ツバルは他の国から遠く離れた場所にあるため、あまり多くの観光客は訪れない。GDPの2/3以上をODAに頼っている。
政府の財源の主なものは、切手とコインの発行、および海外で働く労働者からの送金である。1000人ほどのツバル人がナウルで燐酸塩の採掘に従事している。もっとも、ナウルでは燐酸塩資源が減って来たため、徐々に労働者を帰還させるようにしている。また、1987年にオーストラリア、ニュージーランド、イギリスにより設立され、日本がサポートしている国際信託基金から、相当な収入を毎年受け取っている。ツバルの主な収入源としては、1988年の漁業協定によるアメリカ政府の支払い、台湾を外交承認する見返りとして得ている援助金も挙げられる。
外国の援助への依存を減らすために、政府は公共部門の改革を行い、その中にはいくつかの政府機能の民営化と職員の7%削減も含まれている。1998年から、ツバルはアメリカの電話番号の"900番"回線(日本でのダイヤルQ2にあたる)の国内使用料による収入を得ている。2000年には、トップレベルドメイン名の ".tv" をリースすることで、収入を得るようになった。これらの新しい技術からのロイヤリティーにより、今後10年はかなり収入が増えると見られる。商品の輸出が輸入のほんの一部である現状で、継続的な収入として位置付けられるのは、漁業、通信に関わるライセンス料、海外の労働者からの送金、公的な無償援助などの移転所得、海外資産の投資収入になると見込まれている。
必要な電力はツバル電力公社がディーゼル発電でまかなっているが、関西電力が2007年5月28日に5,000万円をかけて出力40kWの太陽光発電設備を首都フナフティのサッカー場に設置すると発表し、同年9月着工、2008年2月に運転開始した。この電力で、ツバル約1,700世帯のうち50世帯の電力がまかなえる予定で、温暖化被害の象徴である国に新エネルギー技術を伝える設備が設置された。
【国民】
住民は、ほとんどがポリネシア人であり、わずかにミクロネシア人がいる。97%のツバル人は、プロテスタントのツバル教会のメンバーである。キリスト教ではあるが、いくつかの現地固有の宗教の要素が混じっている。
ほとんどの人はツバル語を話しているが、ヌイ島の一部ではキリバス語を話す人もいる。英語が公用語ではあるが、日常会話で使われることはない。
【文化】
ツバルでは、伝統的な共同体のシステムがかなり広範囲に残っている。それぞれの一族は自分達の仕事だけでなく、salanga と呼ばれる共同体のための仕事、例えば魚釣り、家の建築、防衛なども持っている。一族の技術は、父から息子に受け継がれる。