今日の祈祷会で読んだ聖書の箇所は

申命記30章1~14節

 

牧師のメッセージから

「主に立ち返る=悔い改めて福音を信じる(マルコ1:15)」ことで、豊かな命を生み出す。

「悔い改め」という単語は直訳で「方向転換する」という意味

自分だけという生き方から、神様と他者に開かれていく方向転換

主に立ち返ることとは、自らが変わることである

 

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メッセージや会員の証を聞いてたら

二つ思い出したことがある

 

 

一つ目

 

まず、私が変わるきっかけになった一番大きな出会いは

やっぱり神様との出会い

私は出会ったと思ってるけど、

神様にしてみたらずーっと一緒にいてくれてるのにね

 

バプテスマ受けるって決めて、バプテスマクラスを受けていた時のこと

牧師から「信じる前からずっと神様がともなっていてくださる」という

ことを聞いたときに、最初は何を言っているのか全然わからなかった

 

でも、信仰告白を準備していくうちに

生まれた時から、どんなに私が最低最悪の時も

神様は一緒にいてくれて、愛をそそいでくれていたことが分かった

 

 

 

二つ目

 

韓国から帰国して、日本語学校に通っていた頃

海外生活の中で自分のアイデンティティが揺らいでいた頃

韓国に戻る気満々だったのに、戻れなくなった時

もう「日本人」じゃなくなっていた私は、

何人としてどこでどうやって生きていったらいいか分からなくなった

 

自分の生まれ育った街にいるのに、

自分の居場所が分からなくなった

 

そんな時に日本語学校で出会った国際交流の先生

「私、日本人でもなくて韓国人でもない、変人なんです」って言うと

「変人でいいじゃない!そういう変人が外国との懸け橋になるの

自信をもって変人でいたらいいよ!」

 

気持ちがふっとやわらいで

自分が自分でいていいと思えるようになった

あの先生の言葉で救われた

 

 

 

この出来事は私が信仰を持つ前の話だけど

今思えば、この時の私の状態も、この先生との出会いも

神様がちゃんと用意してくださったことだったに違いない

 

 

主に立ち返って、方向転換しながらここまで来た

自分のために生きることそれ自体が、

主と他者の方を向いて生きることになったらいいな

 

 

天の父なる神様

いつも傍で支え慰め、平安を与えてくださりありがとうございます

いつもあなたの方を向いて生きていけますように

そのこと自体が私が私を生きることになりますように

すぐに黒い心に支配されていまいそうになる私ですが

他者の平安を願える者とさせてください

すべてをあなたに委ね、感謝してイエス様の御名で祈ります

アーメン