牡蠣の思い出
キムケン(37・北海道出身)
牡蠣なんてものは、私のような小市民が食べるのはせいぜい年に1〜2度で、「今日は牡蠣を食べるぞ」なんて日には、盆と正月どころか、クリスマスとバレンタインが同時にやってくるような高揚感に襲われます。
あれは5年ほど前のこと。
私は妻とディナーへと出かけました。特に特別な記念日ではなく、ごく普通の夜でしたが、その日は牡蠣の食べ放題に行くことになりました。
年に1〜2度しか食べることの出来ない牡蠣を、好きなだけ食べられる。それはもう、盆と正月とクリスマスとバレンタインだけではなく、ゴールデンウィークとシルバーウィークも同時にやってくるような、そんな気持ちになっていました。
白ワインを頼み、メニューを眺めます。生牡蠣はもちろん、焼き、蒸し、フライ、そこにはありとあらゆる牡蠣のメニューが記載されていました。
私はそのメニューを片っ端から頼み、次々と平らげました。
一度の注文では足りず、何度も何度も注文を繰り返しました。
特に、一番好きな「酒蒸し」は、ワインとの相性もよく、何個でも食べられる、そんな気持ちになりました。
食事を終える頃には、ゆうに30個以上の牡蠣を食べ尽くし、多幸感に包まれながら帰路につきました。
その数日後の真夜中。
私は感じたことのない足の痛みで目を覚まします。
靭帯断裂と骨折、それが同時にやってくるような痛みです。
かつて両方とも経験したことがある私ですが、そのいずれもを上回る痛みでした。
痛みでうなされて寝ることもできない、こんな経験は初めてです。
朝になっても歩くことはできず、骨に異常があることは間違いありません。松葉杖生活を覚悟して、私は病院でレントゲンを撮りました。
「骨に異常はありません」
何を言われているのかがわかりませんでした。この痛みで骨に異常がない──? これは間違いなく医療ミスです。私は痛む脚を押さえ込み、強い気持ちで立ち上がり、その医療ミスを糾弾しようとしたその時。
「痛風かもしれません」
何を言われているのかわかりませんでした。痛風? 痛風とは自堕落な生活の末にやってくるアレのことか? 私には全く心当たりがないその単語に、私の頭は真っ白になっていました。
毎日運動に勤しみ、毎日ビールを6缶飲み、ツマミは高タンパクで低糖質なカツオのタタキ…
心当たりがありすぎました。
そして極め付けは、牡蠣の食べ放題。いままでじわじわと高まっていた尿酸値に、トドメを刺すことになりました。
32歳の私に襲いかかった痛風という名の十字架は、5年以上たった今も、私の体の中に身を伏せながら、また現れる日を待っています。
そんな私が作った牡蠣のアヒージョピザです。
どうぞ!