それは夫婦間でも同様で、お互いに多少なりとも相手に対して思うことはあるだろう。
例えば、うちの妻は掃除担当大臣なので、我が家はいつも綺麗に保たれている。私は簡単にモノを散らかしたり、片付けなかったりするので、その度に妻は私に対して「このヤロー!」と思っているに違いない。
しかしそこまで綺麗好きなのに、ひとつだけなぜかやらない行動がある。
食器をうるかさないのである。
これは由々しき問題である。後々、大変な問題に発展する場合もあるのだ。例えばそれがパンを食べたあとの皿なら、まだうるかさなくてもいいだろう。しかしもしこれがカレーだったならばどうだろうか。
答えは簡単だ。うるかさなかったカレーの皿は、後々、ガビガビのカッチカチになってしまう。私は熱湯を沸かして、カレーの皿に並々と注いでうるかし、こびりついたカレーをふやかすのだ。
また、ごはんを食べたあとの茶碗も甘くみてはならない。これをうるかさなかったためにほんの少し残っていた米粒が、数時間後にはまるで鋭利なトゲのようになっていることがある。まるでジャックナイフのような鋭さのそれは、見た目には分かりづらく、気付いた時にはもう茶碗に根を張っているかのようなくっつきを見せる。
こうなってはもう手遅れだ。タワシでこすっても取れることはない。私はまた、熱湯でうるかさなければならない。
私は疑問に思っていた。なぜ、綺麗好きで要領のいい妻が、皿をうるかすという至極簡単なことをしないのか。私が「皿うるかしといて」と言っても、全然うるかしてくれないのかと。
答えは簡単だった。
「うるかす」は北海道の方言だから伝わっていなかったのだ。
伝わるわけがない。私だって急に「チャービラサイ」なんてことを言われたら「?」という反応になる。
しかし道産子にとって「うるかす」という言葉は日常的なものであり、なかなか他の言葉で代用出来るものではない。
意味としては「水に浸けておく」ということなのだが、ニュアンスとしてはなんというか、「うるかす」のほうがとても「うるかしてる感」がでるのだ。
そう、この「うるかしてる感」をどうやって伝えればいいのか考えてみたが、「うるかしてる感」を伝えられるのはやはり「うるかす」という言葉だけなのだ。
ただ、ここで大事になってくるのは「うるかしてる感」よりも「カレーは食べ終わったら皿をサッ水に浸けておいてほしい」ということだった。
だから私は「皿には水を浸けといて」と伝えることにした。
それ以降、皿は水に浸かった状態になった。
私はもう、しばらく「うるかす」という言葉を使っていない。
