性自認って科学的な根拠もないのに科学的手法とか言っちゃって
もう何かの宗教とかの類なの?って気になってしまう…。
存在自体は否定はしないけれど、他人から見て確認は取れないし
「こう思ってるよ」って言われたら『あぁそうなのね』って理解したり
理解したフリは出来るもので、
でも、他人から見て「違くね?」と
多数の人が思ったら公共の場ではそれが答えになると思うし
対面でも希望する扱いは不可能な事ってあるよねぇ
思いやり とか 気遣い とか だって限界あると思うし。
戸籍の訂正に関しても
トランスジェンダーは脱病理化をうたってるので治療を望まないのであれば
現在は病気とされている性同一性障害ではないって事になるし、
性同一性障害の当事者の為に作られたルールにのっかって
手術は残酷だとか手術はしたくない
でも戸籍は変えて欲しいとか、たいがいおかしいよねぇ…。
特に昨今は己の生き難さを他責する傾向が少なからずあって
それが性別とかジェンダーのせいにしているんじゃないの?って人も
こっちから見て思える人がチラホラいる…。
単なる性的役割からの逃避だったり、同性愛嫌悪もその一種かなぁと思う。
社会的模範って概念から外れた男性や女性がいたっていいけれど、
生物学的な区画や区分けから外れた男性や女性がいてはいけなくって
その生物学的なものに問題を抱えているのが病気なんで治療をして混乱を招かない為に
戸籍が変更が許されているってだけの事でその当事者自身が身体の性を根本からは変えられないって事は重々承知しているとワシは思うし、医療機関などにかかったらその旨は伝えないとミスとかに通じる事も理解した上で治療とかしていると思う。
(元の性を絶対知られたくないから言う位なら〇を選択するとか医療機関には絶対かからないと覚悟を決めている人も中にはいると思う。)
だけど本人が希望するだけで何にも治療をしていない人が性別が変えられてしまったら、
(実際過去に1年半ほどホルモン治療しただけの人の戸籍訂正が許可されちゃったし)
何を持ってその人がその性別であると証明できるのかなぁ?と思ってしまう。
たとえば、この先
戸籍上の性別は〇〇ですが、身体性は△△です。と言う表記が必須になってしまったら?
とか考えると
これは人によっては超恐ろしいよね…。生き難すぎるよねぇ~。
(ワシはかつて健康保険証にそう書かれた時期があった。超激怒してお説教した話をかつて書いたような?)
全然関係ない話になるんだけど、
"何か面白い日だった。"ってタイトルで
昨日書いてた途中だったものが消えました。
この恨みはらさでおくべきかー。
またあとでチャレンジしますぅー。
昨日は何かおかしな事が連続であったので
書きたいんだもん。
チビ妻が買って来たグミ↓