林Saodahのシニア徒然草

林Saodahのシニア徒然草

思春期逆ヴァージョンのブログを始めます。つまり、「まだ子供、もう大人」の逆で、「まだ若い、もうシニア」と都合よく使い分けている日々の気持ち説明をつれづれに…。

遅ればせ過ぎますが、あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

シニアの自覚がありながら、健康で元気だった若い頃の勢いの名残りを引きずり過ぎたともいえるが、ここへ来て、自分の中での心とからだのせめぎあいと取り組まざるを得ないことになっています。

 

昔、左膝のじん帯を痛めた時に、激痛があったのを鍼治療でおさえ、その後体が歩き方のバランスを何とか調整してくれていたのでしょうが、とりあえず何とか普通にできたので、年を重ねて悪化し始めたのに対して、時々さまざまな治療を試みても、じっくり取り組むことができなかった結果、酷使されたからだが悲鳴をあげて抗議してきました。

まったく、申し訳ないことです。長年私のわがままを聞いて、何とか頑張ってきているのですから。台南で2週間ほど漢方薬と鍼治療で養生しながら、つらつらして考え、家に置いてきたアルバート・クラインヒーダーの「病いとこころーからだの症状と対話する」を思い出し、ユング派のディナ・グローマンに習ったイメージワークを使って自分のからだと対話しながら、残りの人生でのからだとのつきあい方を模索中です。

 

ミニマリストのシンプルな生活に憧れるだけでなく、シニア世代になってくると、終活の意味からも、持ち物を見直して整理する日々ではあります。意欲はあっても、思うほど進んではいませんが。

しかし、わかったことは、家にあるものすべてが、自分の感情や思い出

がつまったものなので、確かにそこに決別の儀式が必要なものもある

ということです。

 

私は瀬戸物が好きなので前は沢山あったのを、おひとりさま暮らしになって大分整理したのですが、割れないで手元に残っている中型のごはん茶碗がひとつあります。

信楽っぽい渋いもので、オーストラリアのタスマニアで泊めて頂いたドイツ人の老婦人から「日本人に会ったのは、この茶碗を作って自分にくれた人以来だから、あなたにあげるわ」ともらいました。SHIMIOKAという名前の人だったというので、その時「“しみおか”っていう名前は日本では聞いたことがない」とその方に聞き直したので、余計忘れることがないものです。下手と言っては何ですが、置いた時に底と平行ではない歪みがわずかあり、おそらく高台をきりとる時にずれたのでしょう。今何十年もたって、その味のある大ぶりな茶碗で、親子丼など作って食べると、タスマニア行きの思い出がよみがえります。高価な食器セットを処分し、この素朴な器が残っているのも、面白いです。

 

老年学

老年学はGerontologyと英語で表現されます。Geron:ギリシャ語で老人の意味)と学問・研究を意味するtologyを組み合わせて、ドイツ免疫学者であるイリヤ・メチニコフが1904年に名づけた学問で、発達心理学から派生しましたが、現在は社会学・生物学・医学・福祉・死生学など多岐に渡る要素を含んだ学問分野として研究が進んでいます。

日本老年学会は7つの学会(日本老年医学会・日本老年歯科学会・日本老年ケアマネジメント学会・日本社会科学会・日本では基礎老化学会・日本壮年精神医学会・日本老年看護学会)で成り立っています。高齢になってくると、健康問題だけでなく、社会参加、経済面、メンタルケアなど、意識するようになるので、急速に高齢化が進む日本では、さらに関心をもつ人が増えるテーマだと思います。2009年には東大に高齢社会総合研究機構が設置されました。

 

私はバッチフラワーレメディという自然療法に関わっていて、毎年シンポジウムを開催していますが、2018年には「老年学」をとりあげました。老年期には、自分の人生を振り返り、さまざまな感情にとらわれる局面が考えられるので、感情のバランスをとるフラワーレメディは役立つことを、実感していたからです。ゲストスピーカーとして、「シュタイナーの老年学~老いることの秘密~」の著者である津田塾大学名誉教授の丹羽敏夫先生をお招きし、興味深いお話を伺いました。

人生100年と言われる昨今では、昔より平均寿命が延びて、元気な高齢者も増えています。生涯現役の方もいるでしょうし、退職後にライフワークと取り組むなど、QOLを高めた生き方を模索している方も多いように思います。

私自身、アントロポゾフィーの心理部門であるバイオグラフィーワークを学んだので、7年周期で人生を見た時に、老年期は、第9・7年期(63-70)、第10・7年期(70-77)、第11・7年期(77-84)、それ以降になります。人生の前半のこの地上にしっかり受肉する時期を終えて、後半の人生では、離肉するプロセスになります。

肉体の衰えと同じように精神も下降線をたどって萎えるのではなく、むしろ肉体にとらわれないで解放されていくので、精神はより自由になって、離肉する段階に行けるのではないか、そしてそれこそが理想だと考えたりしました。