林Saodahのシニア徒然草

林Saodahのシニア徒然草

思春期逆ヴァージョンのブログを始めます。つまり、「まだ子供、もう大人」の逆で、「まだ若い、もうシニア」と都合よく使い分けている日々の気持ち説明をつれづれに…。

東京生まれの私は、親に連れられて週末に食事や買い物に行くのは銀座だったから、銀巴里に一人で行ってみて、地下で大人たちに交じって黒いタートルネックの丸山明宏さんのシャンソンを聞いた時は、嬉しかった。女性ではないが、男性でもなく、美しい顔立ちの青年が女性の唄を情感をこめて歌うのを、10代の終わりで聞いたって、今思えば、人生が何たるかもまだわかっていなかった小娘だったのだから。

ある晩、また銀巴里の階段を下りて行こうとしたら、下から昇ってきた人に「今晩はもう終わったわよ。」と教えられた。低い声で、顔を見て驚きこちらは動揺したが、近所のお兄さんに声かけられたみたいな丸山さんとのすれ違い方だった。

 

それから15.6年後に、ひょんなことから表参道にあるビクトリア朝のレースのドレス専門のブティックに英会話を教えに行くようになり、お得意さまだった美輪明宏さんとまたすれ違った。

メディアで沢山見たことがあったし、知性を感じる文章も好きなものがあったが、金髪の三輪さんにはどうも馴染めなかった。

長崎の被爆経験者の美輪さんが、本当はどういう人だったのか知る由もないが、最後に「ありがとう」と言われたというのが、私が10代の終わりに見た若い頃のイメージとリンクする。ひとまわり近く年下の私には、目力を感じる瞳でまわりの世界を見据えている毅然とした態度の人に思えた。自分の中の一部分を他人の中に投影するという見方で言えば、自分が惹かれるものをこの人はもっているというのは、自分の中にある要素を他人に見ると反応するのかな。結婚して子供を育て夫を見送って、70代の終わりになっても、まだ自分は不可解な存在である。自己発見は続くので、退屈しない。

 

音譜音譜音譜

現代社会で、自分には違和感があるのは、 情報の氾濫とタイパ・コスパがやたら求められることです。 

 

私は、何故か知らないが思春期いやもっと前から、人間は肉体の中に閉じ込められているが、中身(本質)ははるかに自由なのではないかと思っていて、この世には森羅万象という興味深い世界が広がっていても、人生は短く、そのほんの一部を垣間見て死んでいくしかないのは残念だと思っていました。

「よく生きて、よく死ぬ」には、前半はよくわかるけれど、後半のよく死ぬとは、ウェルビーイングの観点からは、死がプログラミングされているからこそ、生が輝くと考えていました。

 

先日、YouTubeで、大いに納得したのは、人間も自然の一部だから、文明の進化と自然の間で、バランスをとることが重要との観点でした。

もともと「現代人は何を失ったのか」の話だったので、人間も自然の一部であるという自明の理を置き去りにしていくことへの

警鐘を、養老孟司先生が鳴らされた講演でした。

自然より効率や便利さを重視した結果、現代はアレルギーなど自己免疫疾患が増えている。今もっとも毒性が高いのは、人肉かもしれない、という冗談のような言い方で、食物連鎖は最後に食す存在にすべての毒素が吸収されていくからと続く説明に、聴衆の笑い声が消えきました。食材の処理、保存、流通などがもたらした添加物の多い食品など、経済が優先し、自分もそれを利用している中で、自分なりに振り返るお話でした。

 

医療も、身体は取り換えられないし、完全なリセットはないので、個体に最初からある遺伝的条件プラス人生で本人が体験して加わった、心身の条件で、その先を生きる。つまり個々に違うし、この世を去る時までに衰退していく必要があるので、問題は何かといえば、その機能が老化していく時のバランスが異なり、調和しないことだろうと言われました。

人間も自然の一部であることを忘れてしまい、知性で判断しようとする現代では、移植すると異物を排除する反応が出るので、その拒絶反応を抑える免疫抑制剤を使わなければならない。

歯の治療も、老衰で歯を失っていき、食べられなくなるまでの間もたせられる方法の判断となり、バランスの問題で、個別の判断が必要となる。

内なる自分の声(直観)、からだの声を聴くことに叡知があり、自分の個性・特性に合った生き様は。食だけでなく、あらゆる面で、本人にとっての必然性をもっていることを、医師で解剖学者の養老先生は明確にして下さったと思いました

 

バッチ博士がフラワーレメディを個別に選ぶようにと言ったことにも通じると思いました。

 

 

林サオダ

 

一般社団法人バッチホリスティック研究会

http://www.bachflower.gr.jp

 

 

バッチフラワーレメディというフラワーエッセンスを知って30年近くなる。

 

感情面のバランスをととのえる自然療法として、長年実践してきたが、開発者の英国の医師、エドワード・バッチ博士の哲学、宇宙観、病因論が、これらのレメディ誕生の背景にはある。

 

バッチ博士が言う「人間の本質は魂であり、魂が肉体という乗り物に宿っている」とする考え方。これは、魂は肉体と分かちがたく結ばれているが、死と共に分離し、再び結ばれてよみがえる。とする初期のキリスト教のあとに出てきたもので、「魂は肉体という有限の乗り物に宿るべく神に与えられているもので、魂は不滅である」としたプラトンの考え方である。

バッチ博士(1936年~1986)が生きた時代に、欧米ではネオプラトニズムが盛んになったという記録があり、バッチ博士の著作や論文から、その時代の知識人が注目したネオプラトニズムだと考えられる。

 

紀元前4世紀の初頭に現れたプラトンはインドのカルマや転生思想の影響を受けたと思われるオルフェウス教とピタゴラス派の考え方を継承したと言われている。しかし「魂の不滅」という思想はキリスト教には馴染まないので、イエスの復活が論議されることを避けてか、その部分だけ抜いて精神と身体の二元論として、ヨーロッパに広がっていった。

 

その次に魂は完全に肉体に依存しており、肉体の死と共に消滅するという原子論が表れた。デカルトは非物質的な精神と機械的な体を内界は外界によって、意識は物質の産物として説明されることになった。

今私たちが、脳科学で聞くように、精神の働きは、すべて脳の働きに依存しているとする考え方である。

 

私はバッチ博士の哲学をテツガクするというテーマで、ニュースレターに記事を連載し、今はオンラインのセミナーをしている。

そこでは、主にはバッチ博士の著作にある記述をもとに解説して、その意味を読み取ることをしているが、興味は尽きない。

 

神と近代科学について考えるのは「永遠のテーマ」である