林Saodahのシニア徒然草

林Saodahのシニア徒然草

思春期逆ヴァージョンのブログを始めます。つまり、「まだ子供、もう大人」の逆で、「まだ若い、もうシニア」と都合よく使い分けている日々の気持ち説明をつれづれに…。

バッチフラワーレメディというフラワーエッセンスを知って30年近くなる。

 

感情面のバランスをととのえる自然療法として、長年実践してきたが、開発者の英国の医師、エドワード・バッチ博士の哲学、宇宙観、病因論が、これらのレメディ誕生の背景にはある。

 

バッチ博士が言う「人間の本質は魂であり、魂が肉体という乗り物に宿っている」とする考え方。これは、魂は肉体と分かちがたく結ばれているが、死と共に分離し、再び結ばれてよみがえる。とする初期のキリスト教のあとに出てきたもので、「魂は肉体という有限の乗り物に宿るべく神に与えられているもので、魂は不滅である」としたプラトンの考え方である。

バッチ博士(1936年~1986)が生きた時代に、欧米ではネオプラトニズムが盛んになったという記録があり、バッチ博士の著作や論文から、その時代の知識人が注目したネオプラトニズムだと考えられる。

 

紀元前4世紀の初頭に現れたプラトンはインドのカルマや転生思想の影響を受けたと思われるオルフェウス教とピタゴラス派の考え方を継承したと言われている。しかし「魂の不滅」という思想はキリスト教には馴染まないので、イエスの復活が論議されることを避けてか、その部分だけ抜いて精神と身体の二元論として、ヨーロッパに広がっていった。

 

その次に魂は完全に肉体に依存しており、肉体の死と共に消滅するという原子論が表れた。デカルトは非物質的な精神と機械的な体を内界は外界によって、意識は物質の産物として説明されることになった。

今私たちが、脳科学で聞くように、精神の働きは、すべて脳の働きに依存しているとする考え方である。

 

私はバッチ博士の哲学をテツガクするというテーマで、ニュースレターに記事を連載し、今はオンラインのセミナーをしている。

そこでは、主にはバッチ博士の著作にある記述をもとに解説して、その意味を読み取ることをしているが、興味は尽きない。

 

神と近代科学について考えるのは「永遠のテーマ」である

2026 年は丙午(ひのえうま)で、60年に1回巡ってくる、十干の丙と十二支の午との組み合わせで、変化と飛躍の年になると言わ

れています。

 

私は馬が走る姿を見るのが好きです。記憶にはありませんが、二、三歳の頃は叔父に「馬の絵を書いて」といつもねだっていたそうです。大人に馬が沢山一緒に走っている光景を西部劇とか時代劇の映像で見るのも好きでした。亡き父は騎馬兵で満州にいたと聞いていたのも関係があるのかもしれません。あくまで疾走する馬のイメージの世界が何か私にとっては特別で、乗馬も競馬も縁がないのですが。

 

新たな一年に何を体験するのでしょう? 私にとっての2026年、ようこそ。

 

林サオダ

 

先日、鴨葱のそばを食べた。美味しかった~。(やるべきことを中断しての時間だったから、後ろめたくて写真撮れず)

 

実は、これまで避けていた作業を専門の人に頼めないことになり、それが一気にダブル・トリプルで押し寄せてきました。PCにはりつき本片手に格闘中の毎日。

他人には「ピンチはチャンスって言いますから。」なんて言っているけれど、内心は汗たらーり。

鴨葱そばを食べた時も、ほんのひと時の幸せ感があったが、帰れば、誰も代わりにやってくれない諸般の事務作業が、そのまま待っているわけで、「逃げられないって」と内なる声が囁きますが、やはりジタバタする。

 

それでもって鴨が葱を背負ってくるイラスト書いた人いるんですね。仕事したくなくてパソコンで何気なく鴨葱って?入れてみたら

ありました。葱が下になって上に鴨さまがデンと乗ってるイラストはどこにもまだない模様。

 

つくづく逃げる姿勢が強い私は、鴨鍋は葱が必須、そうだ葱は深谷よね。あの立派な葱が・・・。と考えをめぐらせて。

大体、少し前までは、葱の白い部分だけをフライパンで焼いてその甘さを愛でていたのに。

 

こんな繰り言を、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。自分への気合いを入れますから。

昔、参加したアメリカ人セラピストのワークショップでは、最後に大声で

YES. I CAN!! (キャ~ンと伸ばして絶叫)

と全員一緒に怒鳴らせられたっけ。あれを、今誰もいない部屋でやってみました。

虚しさに自分が苦笑するかと思いきや、ちょっとやる気出た。ですです。