浅草オペラ誕生、全盛期と衰退(1917~1923)~スター大集合 | あほじらすの超高級ヴィンテージ専門ブログ

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大正時代の浅草オペラや!


↑ 「天国と地獄」1918年浅草日本館上演。

『画報 近代百年史』第十集より。

「イタリアの帝国劇場・赤坂ローヤル館における本格的オペラ移植の雄図空しくなったのち、ローヤル館の残党・原信子、清水金太郎、石井漠、戸山英二郎(藤原義江)、田谷力三等を中心に浅草オペラが孤々の声をあげたのは1917年(大正6年)末のことである。」



原信子(1893-1979)のボッカチオ(1919年)【写真は、素手でのレタッチ入ってて原型とどめん。他の画像も同様】
赤坂ローヤル館オペラ失敗の後渡米。1918年帰国して原信子歌劇団を結成して浅草観音劇場を拠点として活躍した。翌年歌劇団を後進に譲って再び渡米した。




↑戸山英二郎(藤原義江、1898-1976)。似てねー
はじめ新国劇に入り、沢田正二郎(1892-1929)に可愛がられ戸山英二郎の芸名をもらったが、大阪で原信子歌劇団のオペラを見て矢もたてもたまらなくなってオペラに転じた。(言うまでもなく、藤原歌劇団の創設者や



↑ 田谷力三(1899-1988) 赤坂ローヤル館で新人テナー歌手として登場。浅草に移ってからは原信子歌劇団、七星歌劇団等に属して人気を集めた。



↑ 相良愛子(1906-?)。これでも一応写真なんやけどね。愛子はん、ごめん



↑ 永井徳子(1891-1919)。28歳で天国へ行きはった徳子はん、ごめん。きれいな写真あったらとりかえるさかい

「1918~19年頃全盛期をきわめた浅草オペラは三友館観音劇場金竜館などが中心であった。」


↑「コルヌヴィルの鐘」1918年 浅草観音劇場



↑ 浅草オペラ華やかなりし頃繁盛したヤマニバー。
安価食堂の元祖。洋食10銭、料理5銭、酒5銭やて。



↑ 右上 松本徳代、右下 岩間百合子、 中央 杉寛・河合澄子、左上 歌川るり子、左下 永井徳子(1919年「活動写真雑誌」より)



↑ 沢モリノと石井漠(ワイには女に見えるが。。?)


「栄華を極めた浅草オペラも全盛時代はわずか3,4年、1920年の経済恐慌以来次第に凋落の影を加え、1923年関東大震災で浅草六区が灰燼に帰するとともに、あわれ一朝の夢と消え果ててしまった。」


↑浅草風景。右の十二階のビルも大震災で中途からポッキリ折れてしまった。


。。。当時のオペラは原作無視の、真面目なクラシック音楽愛好家からしたらそれはヒドいもんだったらしいんやけど、この時代のカッコつけないオペラが一番大衆に心から愛された、本来あるべき姿のオペラだったんとちゃうんかな?