長女の発達障害の診断が下りたのは3歳前後だった。
首の座りが遅い、寝返りしない、ハイハイが遅い、歩きはじめも遅い、そして何より言葉の発出が遅く、2語分も2歳半すぎまでなかった。
早期療育が大切だと思い、発達支援事業所の療育を月に数回受けたりもした。
家でも同じように絵カードを使ったり視覚的に分かりやすいように工夫した。
こだわりと聴覚過敏があり、外出先での公衆トイレ🚻が苦手。
センサーで感知して流れてくる、水の流れる音や便座を上げると自動的に消毒する音、ハンドドライヤーの音が駄目で、ショッピングモールのトイレを使うのは本当に大変だった
夫はどこまで特性について理解していたのか知らないが、発達界隈の本を読み漁る私とは逆に、全く関心がないように見えたのも事実だった。
小学校に上がる際も夫は「支援級には入れない」と断固拒否。
周りが配慮してくれる環境に慣れてしまうと、社会に出た時に困る…と。
私もその考えは一理ある😌とも思ったが、
「社会性スキルの土台を先に作る方が将来困らないのではないか」
と、本音は支援級に入れたかった。
モラハラを受け続け、反論できなくなっていた私は、夫の意見を飲んで普通級に在籍させることにした。
それが後々、問題となってくる。
低学年のうちは、みんなどんぐりの背比べで、
凸凹は目立たなかったし、長女もそれなりについていけていた。男女問わず仲良しの子もいて一緒に登校したり放課後に遊んだりもしていた。
中学年になると、周りとの発達の差が目立ち始める。
放課後に同級生と遊ぶことはなくなり、妹と妹の友達と遊ぶことが増えた。
これは同級生とは発達年齢が合わず、周りの子が『なんかこの子微妙に変かも』と思い始めたのではないかと思う。
勉強もついていけなくなってきた。
宿題を終わらせるのに時間がかかる。
解らせるために夫は大きな声で威圧的に教える。
宿題が終わるまで夜遅くまで起きていたこともあった。
長女は少しづつ、夫の大きな声に萎縮するようになり、夫が大声を出すと緘黙する場面が増えた。
黙っていると「返事は!?」とさらに大声でまくし立てる。
見ていられなかった…
止めたこともあった。が、火に油を注ぐ形になり更に大声で私に対して説教が始まり、長女は板挟みになって辛かっただろうと今更ながら思う。
高学年になり、思春期突入。
この話はまた次回🔜