どもどもキムです。
2024年12月から2025年3月までおよそ3ヶ月かけて
子供たち4人と世界一周をしてきたお話を書いていきます。
もしかしたら僕のことを知らない人も読んでくれるかも知れないから自己紹介。
長野県在住。
1974年東京生まれ横浜育ち。
子どもが4人いるシングルファザーです。
仕事はカウンセリングのような感じ。
人の不安を軽くしたり消していく。
そんな事をしながら、3年前から便利屋のフランチャイズ、お助け本舗長野小布施店というのを運営していました。
ある日ふと思いました。
本当にふと。
子どもたち4人連れて世界一周したら楽しいだろうな〜。
子どもたちにとって一生の思い出になるだろうな〜。
とても軽い気持ち。
元々、かなりテキトーな性格のため、
実際に世界一周したらお金がいくらかかるのか?
期間はどれくらいかかるのか?
何も調べることもなく、考えることもなく、
まぁ500万円ほどあればなんとかなるでしょ?と思い、
facebookの中でクラファンのような事を始めました。
1人1万円協賛してくれたら、facebook内のグループページに招待して、
その中で毎日世界の様子をライブ配信したり、報告したり。
500人集まれば500万。
うん。
難しそうだけど、シンプルで良い。
そう思って、ドキドキしながら告知し始めた。
みんなにどう思われるかな?
家族旅行なんて自分の金で行けよ。。。
そう思う人はたくさんいるだろうな。
そこそこ不安だった。
だけどその不安はあっという間に消え去りました。
と言うのも
告知始めた数日後、旅行会社を営む友人から教えてもらった。
「キム、500万じゃ全然足らないよ。
少なくとも1000万はかかると思うよ。」
一人1万円。
え〜〜!!!
1000万!!!!
頑張ったら500人くらいは集まると思ってたけど、
流石に1000人は集める自信がない。。。
そう思って断念。
全て保留にして、また日常生活に埋もれていった。
心のどこかには世界一周のことがあるけど、
そうは言っても毎日の忙しさで、何をすることなく1年以上が経過していた。
人から見ると僕は行動力があると思われているけれど、
自分的には行動力、持続力、どちらもない。
放っておけば何もしない。
だから自分を追い込むために、よく宣言する。
こんなことします!と。
プロゴルファーになる!とか
起業する!とか
過去には言うだけ言って、なんの形にならなかったことがたくさんある。
またこのまま行くと、世界一周しないで終わるな〜〜。
そんな空気が漂っていた。
そんな時、またふと、
「あ、家を売れば良いじゃん🎵」と思いついた。
長野の山奥。標高1100mの森の中にある我が家。
庭でジップラインをしたり、
ブランコしたり。
スキー場の近くだけあって冬になると雪まみれ。
屋根の上からソリで落ちたり
犬の散歩は犬ぞりで遊んだり。
素敵な思い出がたくさん。
買った値段はちょうど1000万円。
これ売ればちょうど良くね?
ま、そんな簡単に売れるわけでもないだろうから、
とりあえず相談しようと近所の不動産屋さんに電話する。
そのわずか数日後。
「売れたよ〜〜〜」と連絡(笑)
え〜〜!!!!
もう???
流石に心の準備が全くできてなかったけど、
これはもう行くしかない。。。
とそんなこんなで無事に世界一周に行くことが決定したのでした。
みんなから
「家を売っちゃって不安はなかったの?」
「この先どうするの?』
とよく聞かれました。
僕には全く不安がなかったのだけれど、
「それは普通じゃないよ・・・」と
たくさん言われたので、
僕のそれまでのどんな人生を歩んできたのか?
その背景からお話しした方が良いなと思ったのです。
世界一周からは少し遠ざかりますが、
しばしお付き合いくださいませ。
今から30年前。
人生についてなんも考えたことがなかった僕は大学を中退した。
何かを見つけたからとか、大学に嫌気が差したとかではなく、
シンプルに単位が全く取れなかったから。
1年生。次の年も1年生。そのまた次の年も1年生。
もうこれ以上いてもダメでしょ。
ただそれだけで大学を辞めた。
そもそも大学に行きたいと思ったこともなかった。
学びたいと思ったこともなかった。
ただ良い大学に行きなさいと言われたから行った。
大学に行ったらたくさん遊ぼうって決めてた。
だから遊んだ。
遊んだと言ってもバイトしてスキーに行ったり
飲みに行ったり、麻雀をしたり競馬をしたり。
ただ何となく楽しいなと思うことをしてる毎日。
誘われたら何となく行く。
そんな毎日を送っていたら一回も進級できなかった。
当然だと思う。
当時、僕がいた大学のその学科は日本で1番留年する所と言われていたから。
平均でも6年以上かかるような所だった。
そんな学科に行って、遊ぼうと決めていた僕が進級なんてできるわけなかった。
同じ学科の友人は試験に向けてたくさん勉強をしなくてはならないから、
僕は全然勉強なんかしなくても進級できる文系の友達たちとばかり遊んでいた。
その結果の中退。
恥ずかしながら人生について何も考えたことがなかったわたくし。。。
親に感謝したこともなかった。
生まれて初めて親に申し訳ないなって思った。
小学生が中学生になり、
高校生から大学へ行く。
それが当たり前だと思っていたし、
なんで行くのか?何しに行くのか?
人生で何をするのか?
そんなことすら大学を中退するまで一回も考えたことがなかった。
大学を中退して当たり前のように進むべきレールがなくなって
ようやく人生について考え始めた。
たくさんたくさん考えた。
僕がやりたい事ってなんだろう。。。
この先何をするんだろ・・・。
考えても考えても答えは出なかった。
そんな時、三浦綾子さんの小説「塩狩峠」を読んだ。
主人公が自らの命を犠牲にして暴走する列車を止めて乗客を救うという
実話に基づいた物語。
その時思った。
「俺もこんな良い人になりたい!」
今思うと良い人になりたいというか、
良い人と思われたい!の方が強かったと思う笑
でも、形は変えながらも
あの時の「良い人になりたい!」で今も生きていると思う。
やりたい事は見つからないけれど、
なりたい自分は見つかった。
だから仕事はなんでもいいや。
どんな仕事でも良い人は目指せる。
そう思い、僕は就職したのでした。
つづく





