今日は内的に恵みの多い一日でした。
教会の婦人の人生路程の一部を聞かせていただき、とても苦労の多い人生の中に深い神様の心情の世界を復帰して来られた方です。
その方は、原理を聞いた時に聞けば聞くほど神様に対して、原理とは違う生き方をしてこざるを得なかったので、どうしてこういう人生を与えたのかと訪ね続けたそうです。
今までに霊的な体験を通して霊界の様子も見てきたこともあり、親との関係が良かったので、親に「どうして!」「なぜこうなったの!」と訪ねる様に、神様を捕まえて訪ね続けました。
そして神様はそのじゃじゃ馬の様なわが子の祈り一つ一つに応えてくれ、かえってそういう者こそ心配してくれるのだと実感したそうです。むしろ、形式的なお祈りではなく、全てを受け止めたい神様の愛を実感したのです。
むしろ様々な環境が与えられなければ、神様の親としての気持ち、どのように私たちがかえってくることを見つめ、ずっと待ってこられたのか。神様の心情を悟ることが出来なかったとおっしゃっていました。
神様が私を見つめ、どういう希望を感じようとしているのか。私に何を与えようとしておられるのか。
自分自身、毎日の歩みの中で、心からの喜びを感じているのか、心から幸せを実感しているのかと思うと、最近そうと分かりながらも転換できない自分自身を感じていました。
私もこの道を出発して、伝道を始めた時に神様に希望をかえす存在となりたい、神様の前に変わらない子女になりたい。そういう思いをもったことを思い出しました。
私ひとりは小さいですが、神様の愛を現すことができ、多くの人の幸せの為に貢献することができる自分となりたいと考えたりもしました。
私を召命し、私を通して希望を感じ、喜ばれ、私を幸せにしたいと思い私を訪ねてこられた神様。
試練も多いですが、一人一人に課せられた蕩減という課題を乗り越えた時、全てを相続させたい親の愛があるのだと思います。
思っていることを上手く伝えられませんが、一つ一つを祈りによって神様を捕まえ、親として私をどう見つめておられるのか。毎日の生活の中で復帰していきたいと思います。

にほんブログ村