創造本性で授受する | 信仰生活は感謝と喜び!

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二日前の記事でも紹介した『氏族伝道の心理学』(光言社)です。


分かりやすいですが、とても考察の深い内容です。取りあげられる部分が沢山ありますが、印象に残ったフレーズの一つを取り上げました。


「創造本性で授受作用しましょう」「不安や怒りから発する授受作用をやめましょう」(同書P123)


私たちがどんなに正しいことや、物事のあるべき姿を説いても、愛を動機とせず怒りの情で言うならば、相手の怒りや不安と相対基準を結ぶ。


それと反対に私たちが愛ある行動や、優しさからくる言葉を繰り返せば、相手の本性と相対基準を結び、創造本性の授受作用を結ぶのだそうです。


自分自身を振り返ってみても、相手に対して正論をぶつけているのに、そこに愛がないと感じることがありますし、相手の間違いを正そうと躍起になることもあります。


その時は、自分自身が裁き主になっていることに気付かされます。


逆に言葉はうまくなくとも、相手を思って話すならば思いが伝わることが分かります。


人間の発する波動が不思議と伝わるので、相手もそれを言葉以上に感じるものがあるのだと思います。コミュニケーションにおいては、言語自体が与える影響より、それ以外の要素の影響が大きいと言われますね。


同じことを発言しても、話す人によって相手に対する伝わり方や、説得力は全く違います。とにもかくにも、創造本性で授受作用することが大切だと再認識しました。


相手を批判する時、正そうとする時、本当に私は正しいのでしょうか。私自身がしかめっ面になっていることもあるかもしれません。鏡で見る私の顔は今、どのような顔をしているのでしょうか?


たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。


たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。


たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。(Ⅰコリント13章1~3)


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