涙のない人は、正統の信仰の道を歩む者ではない。悲しみの涙、申し訳ないという涙、感謝の涙を流さなければならない。これが、心情の土台を開発するのである。~み旨の道 1423 信仰生活~
昨日の原理学習会を通しても感じましたが、毎日の信仰生活の中で、神様の心情をどれだけ感じられているのかとよく反省します。
相対者からのメールの中に、今回の真の神の日に、お父様が日本語で歌われる姿を見て涙が止まらなくなり、親としての心情を強く感じたという内容があり、自分はそこまで悟れず、まだまだ私自身もお父様に対する心情が足りないと感じさせられました。
そんな自分でも、原理を聞いてからは、涙することが多くなりました。それ以前は、あまり涙もなく、自分は冷たい人間なのかと思ったこともありました。
原理に出会ってからは、不思議と涙が止まらなくなることもあり、人の話を聞いているだけで、ワーッと涙が瞬間的に噴き出してきたり、自分の様なそうでない涙を感ずることが度々ありました。
それは、信仰を少しずつ持つにつれて、神様が目の前の人に対して感じている心情を私の心が感じているのだということが分かって来ました。
その人を見つめてこられた、愛してこられた神様の愛に自然と触れたときに、涙が出てくることが多く、私は他人を通して神様の心情を教えられることがある様に感じます。
普段はあまり神様を実感することが少ない自分にも、少しだけ神様に通ずる気持ちが育ってきたのかと思ったりします。
自分の為だけの涙ではいけないですね。毎日の生活の中で神様の心情を感じて喜び、悲しみ、心情の世界をもっと広げていきたいと思いました。

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