今日の東京は暖かかったですね。20度を越えて過ごしやすい一日でした。
今日も統一原理についてです。(;^_^A 原理講論の堕落論を読みました。
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堕落論では、人間の不幸の原因について考えます。この世の中に神様がいるならば、世の中どうしてこんなに不幸が多いのか。どうしてこんな私になってしまったのか、などと言って神様を否定する人も多いことでしょう。
様々な宗教でも、神様について論じていますが、その前に悪とは何かがよく分かっていないということです。世の中の事件でも、魔がさして、つい出来心でと言って様々な事件があります。
それは我ならぬ我の思いで、良くないと思っていながら、気が付いたらつい悪を行ってしまうということです。ゆえに、悪の主体を見抜く必要があるわけです。
古今東西の神話と言われるものを見ても面白い内容があります。日本の古事記では、イザナギとイザナミ。女性の方から声をかけてしまったことにより、奇形児が誕生します。そして、男性のイザナギから声をかけた時に正常な子供が生まれる。
ギリシャ神話のパンドラの箱も有名ですね。開けてはいけないと言われた箱を、パンドラという女性が好奇心に負けて開けてしまう。そこからありとあらゆる不幸が出発する。
そして、原理講論に登場するのは、聖書の失楽園の話。取って食べてはいけないと言われた善悪知る木の果を取って食べたことが、人間堕落の原因となったという訳です。
その罪が血統を通じて今日まで継続して来ている。これはつまり、血統的な罪だということですね。裸であったことを恥ずかしくなかったアダムとエバが、堕落後は恥ずかしくなってイチジクの葉で腰を覆いました。
人間始祖の堕落は果実を取って食べ、それが子々孫々に伝わったと考えるよりも、腰で罪を犯した。食べて死ぬと分かっていても、それを乗り越えることのできるのは愛の問題しかないと原理では説明しています。
血統が重要だと文先生も語られる様に、血統を大切にすることが私たちの使命であり、神様が最も喜ばれることです。愛の問題ゆえに傷つき、人生を無駄にしてしまう人がどれだけ多いでしょうか。負の部分はあまり強調されません。たとえば、堕胎によって心身共に傷つく10代、共に失われる新しい命を思うと悲しくなります。
私も小学生5年生のころだったと思います。性教育元年として本格的に性教育がスタートした年でありました。愛の尊さなどは一切話されず、ある学校では両親が動物の様に、汚らわしく交わって生まれたのが私だといって泣きだした子供もいたようです。愛の重要性、純潔の尊さを訴える前に、形だけを教えることでかえって性の問題が増加する結果をもたらしたようです。
私たちも血統の重要性、純潔の尊さ。もう一度目を覚まして、周りに流されず判断する心が大切だと思います。
明日は拉致監禁問題のビラまきをしてきます。明日アップできればと思います。

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