従来のキリスト教における神観は、栄光の神、いと高きところにおられる方、全知全能、俗なるものとは関係のない聖なる方、というのが一般的だと思います。
文先生は若き日に涙ながらに神様を求めていかれました。その中で出会った神様は、神と人間は親子の関係であるということです。
親は子供の嘆き悲しむその姿を見た時には、その子供以上に苦しみを感じるはずです。
同様に人間を見つめる神様の心情は、慈しみ、憐れむだけでなく、子供を抱きかかえて共に涙を流す親の心情ではないでしょうか。
神様も人間なしには、愛を交わすことができないということは、私が神様を必要とする以上に、神様にとって私が必要であるということです。
私たちが神様に感謝することも大切なことですが、神様が私たちに感謝することのできる一日を持つこと、神様にとってなくてはならない存在になります。このような祈りを捧げることのでき、その実体に近づけるような我々となっていきたいですね。(^-^)/
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