バレンタイン戦線に異常あり。
そんな風聞を小耳に挟み、
義憤にかられてキーボードを叩いています。
そもそもバレンタインは、世の製菓メーカーが無垢な少女の財布から小銭をくすねるために・・・そんなメルヘンのないリアルを説いてはいけません。
なにかの後押しがなければ想いを告げられない純真可憐なシャイガールの後姿に、灼熱の追い風をフーフーするために設けられた、女の子の、女の子による、女の子のための国民的行事。
ゆえに、日本男児は、『逆チョコ』なんて日和見メディアの作出した虚構にあいのりするなど言語道断。逆チョコ許すまじ、である。
チョコレートを片手に告白、そんな無粋なマネなど、ぜったいにしてはいけない。
オールド・ファッションと揶揄されようとも、男はいつの時代も手ぶら。むろん、セコいわけではない。『甘味』は、己が言葉で、心で伝える。『素手』で闘う心意気を忘れないでほしい。
それでも、バレンタインデーを能動的に動かしたいと言うのなら、
「Give me a chocolate!
Give a chocolate to me!」
と好きな娘にシャウトすればいい。
かくいうぼくも、一度だけ、おねだりしたことがある。
忘れもしない1993年2月某日。
「あなたからの、チョコレートが欲しいです!」
当時、19歳のぼくが放った無垢な想い。
前夜は重圧でなにも手につかなかった。友人の下宿先(北村荘)に転がり込み、
「人間の住む部屋とちゃうな」
と悪態をつきながら二人仲良くクイーン&デビッド・ボウイの「UNDER PRESSURE」を夜が明けるまでおサルのように繰り返しソウルフルに歌い上げ、指パッチンのやり過ぎで関節に鈍痛を発症したあの日のことを、ぼくは今でも忘れない。
一晩であり得ない回数の放物線を便器に描いた。今更ながら、フル稼働した我が尿道に、「お疲れちゃん」とねぎらってやりたい。
「ンバ、ンバ」と訳のわからんフレディのスキャットに、
「チョコくれ、チョコくれ、チョコレートくれ」
とかぶせてぼくの祈りのマントラは始まった。
「プレッシャー、プレッシャー、プレッシャー・・・」
そのままの心理状況。
フレディの「give love」に合わせた、
「ギブ チョコ!ギブ チョコ! ギブ チョコ!・・・」
ぼくのシャウトは切ないまでの涙声。ついでに、彼女の名前も連呼。
まさに、This is ourselves.
午前4時を過ぎたあたりから、明らかにテンションがダダ下がりのデビッド(=友人(黄色人種))に、
「ギター、休むな!当事者意識を持て!」
と叱咤し続け、ぼくは当日の朝を迎えた。
一睡もしなかったマイバディ。疲労と緊張で朝から全身がぶるぶると『マナーモード』に設定されていた。It’s automatic.
そして、しれーっと彼女のところに顔を出した。気持ち的には匍匐(ほふく)前進。ぎこちない挙動で両の掌を突き出し近づきながら、満を持した全開のスマイルを解き放つ。
対して迎え撃つ彼女の目もとは、どこまでも涼しげ。
「はい、ハッピー・バレンタイン♪」
言葉を添えて手渡されたチョコレートを見た瞬間、ぼくの両膝は吸い込まれるように地面に屈し、脱力で前のめった頭も地面に突き刺さった。この憐(あわ)れな3点ポジションを1分間キープ。
彼女がワタシにくれたもの。
普通にコンビニでも売っていることでお馴染み、明治製菓の『板チョコ』だった。
「二条城の堀に飛び込もう・・・」
完全に死に体のぼくの頭上から、鈴を鳴らしたような彼女の声が降ってくる。
「違うんよ、聞いて。頑張って作ったんよ。でも、焦がして・・・」
彼女の言い訳を遮るように、ぼくはひょいと立ち上がる。ふたりの歳の差5歳、身長差は30cm。
「ほんとに?」
「ほんと!徹夜で作った。この眼を見て!」
ぼくは首を右に傾け彼女の顔を覗き込んだ。こんなに近くで彼女を見るのは初めてだった。その喜びが全身の単細胞に力を吹き込み、いつものぼくが戻ってきた。疑惑の念を込めて目を細める。
「たっぷり睡眠をとった人の健康的に潤った目にしか見えないんですけど」
「・・・」
そして、柔らかい笑顔で伝える。
「失敗した。そういうことに、しときましょ」
ムッとした彼女はくるりと踵を返して、大袈裟なヒールの音をリノリウムに響かせながら去っていく。
そんな怒ってないくせに。ぼくは右手に掲げた板チョコをひらひらとさせながら、
「ありがとー!みんなに見せびらかします!」
と彼女の背中にお礼を言った。
彼女は歩みを止めずにこちらを振り返り、整った歯並びを露わにして不満の意志をアピールして、いなくなった。
ひとりになったぼくは、彼女の残した「いーだっ」の残像を、何度も何度も楽しんだ。
19歳のハッピー・バレンタイン。
と、なんとか帳尻を合わせる形で、ぼくのおねだり大作戦は終了したのであるが、そうはいっても一抹の疑念をぬぐい切れないのが人の心というもの。
この疑念が完全に払拭されたのは、彼女の手料理を馳走になったとき、
「こんなくそ不味いハンバーグを振る舞う人に、チョコレートが作れるわけがないわな」
と思った瞬間だったから、それはもう少し先のお話である。
チョコレートはあげるものではなく、もらうもの。
ねだれ。
クリックをねだっても良いかな
↓
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そんな風聞を小耳に挟み、
義憤にかられてキーボードを叩いています。
そもそもバレンタインは、世の製菓メーカーが無垢な少女の財布から小銭をくすねるために・・・そんなメルヘンのないリアルを説いてはいけません。
なにかの後押しがなければ想いを告げられない純真可憐なシャイガールの後姿に、灼熱の追い風をフーフーするために設けられた、女の子の、女の子による、女の子のための国民的行事。
ゆえに、日本男児は、『逆チョコ』なんて日和見メディアの作出した虚構にあいのりするなど言語道断。逆チョコ許すまじ、である。
チョコレートを片手に告白、そんな無粋なマネなど、ぜったいにしてはいけない。
オールド・ファッションと揶揄されようとも、男はいつの時代も手ぶら。むろん、セコいわけではない。『甘味』は、己が言葉で、心で伝える。『素手』で闘う心意気を忘れないでほしい。
それでも、バレンタインデーを能動的に動かしたいと言うのなら、
「Give me a chocolate!
Give a chocolate to me!」
と好きな娘にシャウトすればいい。
かくいうぼくも、一度だけ、おねだりしたことがある。
忘れもしない1993年2月某日。
「あなたからの、チョコレートが欲しいです!」
当時、19歳のぼくが放った無垢な想い。
前夜は重圧でなにも手につかなかった。友人の下宿先(北村荘)に転がり込み、
「人間の住む部屋とちゃうな」
と悪態をつきながら二人仲良くクイーン&デビッド・ボウイの「UNDER PRESSURE」を夜が明けるまでおサルのように繰り返しソウルフルに歌い上げ、指パッチンのやり過ぎで関節に鈍痛を発症したあの日のことを、ぼくは今でも忘れない。
一晩であり得ない回数の放物線を便器に描いた。今更ながら、フル稼働した我が尿道に、「お疲れちゃん」とねぎらってやりたい。
「ンバ、ンバ」と訳のわからんフレディのスキャットに、
「チョコくれ、チョコくれ、チョコレートくれ」
とかぶせてぼくの祈りのマントラは始まった。
「プレッシャー、プレッシャー、プレッシャー・・・」
そのままの心理状況。
フレディの「give love」に合わせた、
「ギブ チョコ!ギブ チョコ! ギブ チョコ!・・・」
ぼくのシャウトは切ないまでの涙声。ついでに、彼女の名前も連呼。
まさに、This is ourselves.
午前4時を過ぎたあたりから、明らかにテンションがダダ下がりのデビッド(=友人(黄色人種))に、
「ギター、休むな!当事者意識を持て!」
と叱咤し続け、ぼくは当日の朝を迎えた。
一睡もしなかったマイバディ。疲労と緊張で朝から全身がぶるぶると『マナーモード』に設定されていた。It’s automatic.
そして、しれーっと彼女のところに顔を出した。気持ち的には匍匐(ほふく)前進。ぎこちない挙動で両の掌を突き出し近づきながら、満を持した全開のスマイルを解き放つ。
対して迎え撃つ彼女の目もとは、どこまでも涼しげ。
「はい、ハッピー・バレンタイン♪」
言葉を添えて手渡されたチョコレートを見た瞬間、ぼくの両膝は吸い込まれるように地面に屈し、脱力で前のめった頭も地面に突き刺さった。この憐(あわ)れな3点ポジションを1分間キープ。
彼女がワタシにくれたもの。
普通にコンビニでも売っていることでお馴染み、明治製菓の『板チョコ』だった。
「二条城の堀に飛び込もう・・・」
完全に死に体のぼくの頭上から、鈴を鳴らしたような彼女の声が降ってくる。
「違うんよ、聞いて。頑張って作ったんよ。でも、焦がして・・・」
彼女の言い訳を遮るように、ぼくはひょいと立ち上がる。ふたりの歳の差5歳、身長差は30cm。
「ほんとに?」
「ほんと!徹夜で作った。この眼を見て!」
ぼくは首を右に傾け彼女の顔を覗き込んだ。こんなに近くで彼女を見るのは初めてだった。その喜びが全身の単細胞に力を吹き込み、いつものぼくが戻ってきた。疑惑の念を込めて目を細める。
「たっぷり睡眠をとった人の健康的に潤った目にしか見えないんですけど」
「・・・」
そして、柔らかい笑顔で伝える。
「失敗した。そういうことに、しときましょ」
ムッとした彼女はくるりと踵を返して、大袈裟なヒールの音をリノリウムに響かせながら去っていく。
そんな怒ってないくせに。ぼくは右手に掲げた板チョコをひらひらとさせながら、
「ありがとー!みんなに見せびらかします!」
と彼女の背中にお礼を言った。
彼女は歩みを止めずにこちらを振り返り、整った歯並びを露わにして不満の意志をアピールして、いなくなった。
ひとりになったぼくは、彼女の残した「いーだっ」の残像を、何度も何度も楽しんだ。
19歳のハッピー・バレンタイン。
と、なんとか帳尻を合わせる形で、ぼくのおねだり大作戦は終了したのであるが、そうはいっても一抹の疑念をぬぐい切れないのが人の心というもの。
この疑念が完全に払拭されたのは、彼女の手料理を馳走になったとき、
「こんなくそ不味いハンバーグを振る舞う人に、チョコレートが作れるわけがないわな」
と思った瞬間だったから、それはもう少し先のお話である。
チョコレートはあげるものではなく、もらうもの。
ねだれ。
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