人の顔面に生まれながらに装備されている目。
何のために備わっているのか。もちろん、見るためだ。目に見える外の世界をどう捉えているかは個々人の自意識の有り様によって様々だろうが、僕は己の両の眼(まなこ)を駆使して目の前にあるものを睨(ね)めつける。
先日、こんなことがあった。
僕の傍らに二人の女性。
服の上からでもそれと見てとれるグラマラスなシルエットと単なる『胸板』が目の前に並んで陳列してあれば、僕の目力はどちらを追跡するのか。人間の眼(まなこ)は『常ならぬもの』を追ってしまう習性がある。『胸板』なら僕にもある。
僕の眼は、片方の女性の胸元にそびえる双丘に釘付けになった。『賽銭箱があれば小銭を放り込む』が如きナチュラルな立ち振る舞い。もちろん、ワイセツな意図は全くなかった。
僕は女性を見るときは明け透けなスタンスで視線を送るように心掛けている。
街中ですれ違う見知らぬ女性のような、刹那を共有する術しかない出会いには『チラ見』も有効ではあるのだが、ある程度の関係性を具備した間柄での『チラ見』は相手に不快感を与え、かえって、エロの謗(そし)りを受けかねない。
僕の中での『明け透けな視線』は犬に例えるなら、『腹を見せる』、服従の姿勢に近しい気がする。
『おっぱい、参りました』
清々しいまでの敗北宣言である。
このときも僕の『敗北宣言』は相手の女性にキッチリカッチリ伝わっていたと思う。
にも拘らずもう一人の女性、胸板ちゃんからは素気無い一声。
「副隊長、失礼でしょ!」
さすがの僕も、この魂の叫びには驚愕した。『副隊長、失礼でしょ!』に大人の意訳を施すと、
「副隊長、そっちばっかりズルイ!私のも見て、見て♪」
寸分違わぬ怜悧な意訳。大和撫子の貞操観念崩壊、ここに極まれりである。
平成に生ける最後のサムライ、歩く道徳と呼ばれる僕としては非常に嘆かわしい出来事ではあったが、ハレンチとは言え、婦女子の無垢な求めに応じないのは野暮というもの。
こうして僕は、気を引き締めなおして実直な視線を胸板ちゃんの謙虚な胸元に這わせた瞬間、潔いビンタを一撃、お見舞いされたのであった。
『行くも地獄、戻るも地獄』
女心というのは、げに難しい。
『アッチを立てればコッチが立たず。無邪気に勃つのはナニばかり』
僕はシモネタが大嫌いです。
※大きなおっぱいが好きだなんてケチな了見のお話ではありません。僕は『雑食』です。
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