『男女の友情は成り立つか』



一度は友人と語らった経験のある人も少なくないと思われるこの議題が、ブログ界でも熱く綴られているようですね。


つい最近も、懇意にしていただいているアメブロガーSさんから、この種の議論を吹っかけられ、互いに口角泡を飛ばす激論・・・にはならず、人肌並みのぬるい意見の交換をしたところです。


また、他のブロガーさんもこの議題でブログを書いたところ、活発な議論が行われたようで、



「副隊長さんはどう思いますか?」



なる、慢性的なネタ不足に悩まされている僕にとって、至極ありがたいフリを頂きましたので、今回は乗っからせてもらいます。ありがとうございます。


結論として、僕は『どうでもいい』という立場です。


初手から思考放棄をするようで申し訳ないのですが、そもそも、『友情』という極めて情緒的で曖昧モコっとした多義語を、成り立つ、成り立たないの二元論で論じさせようとすること自体に無理がある気がします。


それに『友情』なんてものは、各々当事者間で、『感じる』『感じない』をぼんやりと体感していれば十分で、一般的・抽象的な結論を求める類のものではなく、それこそ、個別・具体的に判断すれば済むお話なのでは?と思えてなりません。


加えて、一般論で論ずれば、この議論の帰結が他人の『友情』の是非を問うことにもなるわけですから僭越の感も否めません。


例えるなら、僕の与り知らないところで羨ましくも『ラブラブ・チュッチュ』に励んでらっしゃるカポゥの『感じている』『感じていない』を当人たちではなく、僕がジャッジする。この文脈に近しい違和感を僕は感じます。


何事に限らず価値観は多様であっていいし、また、そうあるべきでしょう。


個別に、友情は成り立つという人がいれば、その人の周囲では男女の友情が存在するのでしょうし、そうでない人の歩みの上には存在しない。それでいいと思います。


しかし、この世に男と女の二種類しかいない者同士が、『恋慕の情』がなければ交誼を結べないとするのは、いささか味気ない気がしますし、男の立場なら、恋心、欲情は感じないが多才・有徳を感じさせる女性は捨て置かない、そんなスタンスでいた方がより妙味に溢れた人生を送れる。



僕個人は、そう思っています。



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