「時は金なり」
これを、(したり顔でのたまう人の事を)英語では、「マザー ファッカー」と表記します。
Time is moneyではありません。
センター試験を受験して10年ちょっと経過したが、まずもって、間違いないでしょう。
僕たちにとって、時間はとても大切なものです。理由はひとつ。人間存在が有限だからです。もう少し踏み込むなら、有限という概念が極めて貴重、無限は使い放題、パケ放題、さして価値はないという俗的な価値判断がまかり通っていることも原因かも知れません。
しかし、「人間の価値は皆、等しい」なる牧歌的な主張は、まあ良いとして、時間は同価値ではありません。これについては、"睾丸がシワシワである〟を意味する"筋金入り〟のヒューマニストも同意するはずです。
簡単に言うと、これから恋も夢も見放題なんていうふしだらな若者たちと日本の根幹、屋台骨を支え、そして、雄々しくリタイアされた老兵たちの時間を同列に扱うな、と言う事です。
拙ブログは「ロマンティック・ブログ」を僭称しておりますので、時間の価値を、「時間給」なる資本主義的価値判断で論ずるような事は致しません。ですから、今回の基準は、"センチメンタル〟に依拠させてもらいます。
老人に残された時間は、当たり前ですが、若者のそれとは比べ物にならないくらいに僅か、僅少です。
ゆえに、同じ1時間でも、それに掛かる分母が違うわけですから、この辺りは、キッズたちでもできる計算のはず。ウルトラマンのやっつけ仕事はチビッ子たちにとって、変身後よりカラータイマーが点滅してからの方がはるかに尊い、エキサイティングである。これとほぼ同義だとイメージしていただくと、よりわかり良いかも知れません。
「継続は力なり」
僕が最も不得手とするカテゴリーではありますが、不断の継続に惜しみない敬意を払うのは、分野を問わず。ベテランのスポーツ選手しかり、ビジネスマンの勤続年数しかり、熟年になっても睦み合う夫婦の性生活しかりです。
結婚生活の継続に金、銀、などのメタルをもって称えることに倣うならば、老人は生きているだけで貴重、まさに、老後の時間は、"プラチナの日々〟な訳です。
残念ながら、僕たち男は愚鈍さゆえに、プラチナの価値を推し量る事が適いません。そこで、違いのわかる婦女子の皆さん、ショウケースの中を覗き込む時のあの目線、あの目線で老人たちを射抜いて、今後は慰労して差し上げましょう。
僕たちは、何か違う方策(お茶濁し)を考えます。
と、今回は"敬老〟の精神を訴えたいわけではありませんで、まあ、とにもかくにも時間と言うヤツは貴重なものです。昨夜、PCに向かい別記事を書きながら、その出来栄えの陳腐さに己がフリーズする恒例行事が発生しまして、2時間ほど、二酸化炭素のみを排出する"生ける公害〟状態を経て、その記事のアップを断念。
あげく、酔いに任せてとあるブロガーさんに、破廉恥極まりないトークを繰り広げたようで・・・。
先ほど、その方から頂いた、「第三回、シモネット・レイディオ、ありがとうございました」なるメールを読んで、他人の貴重な時間を蹂躙した己に反省する事しきり。
これを機会に、ブログにおいても"シモネタ〟を封印することをお誓い申し上げたいと存じます。
敬白
1日一回、よろしくお願いします
