ようやく、冬の装いというやつでしょうか。
基本的に、春や秋のような"ぬるい〟湯加減を好む僕ですが、さすがにこうも冬らしくない天候が続きますと、昨日、久しぶりに京の夜空に舞った粉雪をガラス越しに眺めながら図らずも、「花鳥風月」なんて四字熟語を思念する己に日本人を感じることしきり。
底冷えで有名な京都ですが、ここまではほぼ、季節のメリハリを感じない陽気が続いていました。
これも"地球温暖化〟が進行している証左なのだと考えると、まずは、己の二酸化炭素排出量を手控えようかと眠れるエコ魂にも火が灯るというものです。
しかしながら、考えてみると、この"温暖化〟なる言葉はどうも怠惰な人間の危機意識を喚起するには少々、表現が"柔らかい〟気がしてなりません。
「温暖」・・・「温」と「暖」に分けてみても、どちらも僕たちの日常において至極、好意的な比喩に用いられる優等生ではなかろうか。そんな優等生に肩を組ませて「温暖」と化けさせたところで、人類への警鐘の大役を担わせるにはいささか役不足の感が否めません。
この辺り、「地球灼熱化」と表記しないのは、他の言語との協調を意識しているのもあるでしょうが、衆目の関心が急激に地球環境へシフトする事は経済活動の妨げになるという、国家、あるいはそれを超越した存在の意志があるのでは、なんて思いを巡らせるのは邪推なのでしょうか。
僕自身、際立った温暖化防止への取り組みは行っておりませんが、内にあるモラルという基準に則って、地球とお付き合いするようにはしているつもりです。
「失って初めてその大切さに気が付く」
なんてありきたりのフレーズをしたり顔で吐かないためにも、地球環境について少なからず皆さんにも考えて欲しい。焦らしプレイの如く遅れてやってきた雪を眺めながら、そんなことをふと思いました。
焦らされているうちが華かもしれません。
皆さんも性行為のとき、焦らされて焦らされた果てに訪れる享楽に、獣の咆哮で応答するのではなしに、
「ありがとう♪」
と感謝の言葉と共に合掌をするなどして、日常の「当たり前」に頭(こうべ)を垂れる、そんな謙虚な姿勢を忘れないで下さい。
※こんな事をすると、新種のセックス教団の信者と誤解される恐れがありますので、くれぐれも真に受けないで下さいね。
いつもありがとうございます
↓