大阪朝鮮高級学校ラグビー部。

 今では全国の高校ラグビー関係者の中ではその名を知らない人がいないほどの強豪校中の強豪校。

 朝鮮学校ということで長年の間、参加資格が与えられないままだったが、1990年代にようやく全国大会への門戸が開かれ、そこからは一気に全国強豪の仲間入りを果たした。

 1998年度に初めて大阪府予選決勝を体験し、その時は啓光学園(現・常翔啓光)に完敗を喫するも、以降はコンスタントに決勝まで上がるチームへと成長した。

 そして迎えた2003年度。

 当時の大阪府ビッグ3と言われた啓光学園、東海大仰星、大阪工業大学付属(現・常翔学園)以外との相手である近大付属との決勝の地へ進むことになる。

 大阪朝鮮関係者らは初めての全国へ向けて期待が膨らむばかりだった。

 と言うのも、過去今まで決勝で敗れた相手はいずれも大阪ビッグ3であったからだ。

 その期待に応えるとおり、大阪朝鮮はロスタイムでの大逆転で初めての花園進出を果たしたのだ。

 と同時に朝鮮学校としては初めての全国高校ラグビー大会出場となり、同胞の中でも、日本のラグビー関係者の中でも注目を浴びることになる。

 そして始まった2003年度全国高校ラグビー選手権大会。

 大阪朝鮮はノーシードとして一回戦からの出場となった。

 さすがは大阪予選を勝ち上がってきたチームだけあって、一回戦は難なく大勝を収める。

 そして迎えた二回戦は、シード校との対戦、当時の優勝候補筆頭であった埼玉代表の埼玉工業大学付属高校(現・正智深谷)との一戦を迎えることになる。

 2003年12月30日、花園ラグビー場第1グラウンドは試合前から賑やかだった。

 冬の風物詩を楽しむラガーメンファンはもちろん、初めて全国大会の地を踏む大阪朝鮮ラグビー部を応援しようと全国各地から沢山の同胞が集まったのだ。

 しかし健闘むなしく大阪朝鮮はトンガ人擁する埼工大深谷に完敗を喫し、初出場の年は2回戦で姿を消すことになった。

 ただ恐れることなくトンガ留学生に向かって果敢にタックルを披露する姿は沢山のラガーファンを魅了したのだ。

 

 その年の大阪朝鮮ラグビー部は昨年の悔しさを胸に、一生懸命練習に励み順調に勝ち進み、二年連続大阪府決勝戦へと駒を進めた。

 相手は初出場を狙う関西創価高校であった。

 下馬評は全くのイーブン、スキルも体格も全くの互角ではないかという専門家の言い分であった。

 そして迎えたキックオフの時間、大阪朝鮮は大歓声の応援団をバックに序盤から必死に攻め立てる。

 初トライは大阪朝鮮、決して大型ではないが、一度組めば前へと前へと突き進むモールを披露するFW陣がトライを奪った。

 ここから試合は壮絶の点の取り合いとなる。

 相手も負けじと攻めてくる、取っては取られての繰り返し。

 後半ラスト10分、大阪朝鮮はトライを奪い試合を決定づけたように見えた。

 しかしここから関西創価が最後の気力を振り絞って約10分間攻めに攻め、見事トライを奪うのである。

 キックも決まり24-28となった。

 その時点で時間は後半29分、残り1分とロスタイム少々。

 観客の誰もが、関西創価の花園初出場を疑わなかった。

 しかし諦めていなかったのは大阪朝鮮フィフティーン。

 なぜならトライ後のキックが決まらなくてもトライさえ奪えば逆転がすぐそこにあるからだ。

 ロスタイムに突入したその時に、大阪朝鮮ボールで試合は開始した。

 キックと同時に相手に向かって襲い掛かる大阪朝鮮。

 たまらず相手選手はボールをファンブルしてしまい、仕方なく中途半端に外に蹴り出してしまう。

 これが試合をひっくり返すことになるとは誰も予想していなかった。

 大阪朝鮮ラインアウトで再開したゲーム。ラインアウトがきれいに決まりそこから伝統の自慢のモールが形成された。前へ前へと押し進むFW陣。何と数秒で相手ゴール前まで来たのだ。

 このままでは止まらない、そう思った選手は反則をしてしまう。

 ジャッジはそのままプレー続行のアドバンテージを表示する。

 ぐっと優位になった大阪朝鮮は一度止まったモールの突進を諦め、近場のFW陣で攻め立て、相手DF陣を引き寄せる。そして外が手薄になった瞬間、ボールはBKへと。

 一番外に陣取る快速選手へとボールが渡る。

 快速ウィングはゴールへ向かってまっしぐら、しかし相手も止めようと必死に追う。

 ボールを持ったまま倒れこんだところがギリギリ相手インゴール内であった。

 29-28。

 ロスタイムに突入したわずか数分で試合はひっくり返ってしまった。

 トライ後のキックは外れしまうものの、大阪朝鮮は見事二年連続花園への切符を手にする大逆転ドラマを生み出した。

 二年連続の終盤での大逆転だけあって、ミラクル朝高というニックネームがついたのもこの時がきっかけである。

 

 予選決勝から約一か月間、慢心することなくあくまでもチャレンジャーとしての気持ちを忘れずに本選での戦いに向けて万全の準備をほどこした大阪朝鮮。

 そして2004年度全国高校ラグビー選手権大会は開幕するのであった。

 今回もノーシードからの参加であったが一つ一つの試合に全力を果たし、花園初出場であった昨年の2回戦進出を超える3回戦まで勝ち上がっていった。

 これは運命なのか、誰もがそう思ったであろう。

 3回戦の相手はあの埼工大深谷であった。

 当時も優勝候補筆頭で、何よりも強力なトンガ人留学生たちが待ち構えるチームであった。

 「トンガ人留学生は止められない」

 「朝高は埼工大にリベンジどころか返り討ちにあうだろう。」

 周囲の判断はこうであった。

 運命のキックオフは新年を迎えたばかりの2005年1月1日、花園ラグビー競技場 第1グラウンドにて。

 試合開始から観客はトンガ人留学生の強靭な肉体から繰り広げられるパワーに圧倒される。

 一人では止められず、上から下へと、2人3人で必死にタックルを試みる。

 が、止められない。手薄になったところを攻められ簡単にトライを許す。

 周囲はまだ前半にも関わらず、半分諦めモードに突入してしまう。

 今年もダメなのか。

 しかし希望の光が見え始めたのは前半最後のプレーだった。

 大阪朝鮮の執拗なタックルに疲れも見えてきた相手チーム。

 その隙を見逃さず、奇襲に出る大阪朝鮮。

 細かく細かくボールを繋げ、ボールを前へと蹴り出すと全速力でゴールに向かいボールを相手選手より早くインゴールに押さえ込み、初トライを奪ったのだ。

 そう、予選決勝で逆転トライを決めたあの選手である。

 後半に望みを繋げてハーフタイムを迎えた選手たちの表情は、絶対いけるという自信に溢れていた。

 それを証明するかのように、前半とは打って変わって後半は序盤から終始大阪朝鮮ペース。

 早速トライを1本返し、点差を縮め、あとワントライワンゴールで逆転というところまで来た。

 観客のボルテージも最高潮に達する。

 あれほどまでに攻められていたトンガ人留学生が何も沈黙状態に陥るほどに大阪朝鮮の攻撃と防御は強烈だったのだ。

 そして後半残り5分、奇跡は起きるのであった。

 マイボールから自慢のモールを組み前へと突進し始める。

 引き続き前へと進むモールに対して、必死に止めようとする埼工大であったが、大阪朝鮮のがっちりしたモールは止まらない。チャンスと思いきやBK陣もモールに加わり必死に押す。

 約何分押したのであろうか。

 集まった大勢の同胞の期待を背にして更に前へ前へと押していく。

 ピピー!トライ!

 大阪朝鮮、この試合で初めての逆転!

 大阪朝鮮が全国の強豪を打ち破る瞬間がとうとう訪れた!

 観客たちは肩を抱き合い、喜び合う。

 あと5分待てば勝利のホイッスルを聞くことが出来ると、全員が待ち構えた。

 

 ピピー!ノーサイド!

 35-17、埼工大深谷勝利!

 

 またもや健闘むなしく埼工大深谷の前に敗戦をのむことになった。

 しかしこれが今後の大阪朝鮮ラグビー部の飛躍台となり、全国の中でも有数の強豪へと育っていくのであった。朝高旋風を巻き起こしたのはまさしくこの当時であった。