■ケインズは、「神様は景気回復が苦手だから政府が」
アダムスミスは、「神の見えざる手に任せて王様は経済に手出ししないで下さい」と言いました。神の見えざる手を信じる経済学は、古典派、新古典派などと呼ばれ、今でも主流派経済学なのですが、彼らは失業や不況を気にしません。「作った物は売られるので売れ残らない。なぜなら、需要と供給が一致するまで価格が下がるからだ」「失業問題は時間が解決する。労働力の需要と供給が等しくなるまで労働力の価格(賃金)が下がるからだ」というわけです。
しかし実際には、売れ残りも不況も失業も存在しています。ケインズは、アダムスミスは基本的に正しいとしながらも、「長い時間をかければ、神様が失業などの問題を解決するのだろうが、それまでに我々が死んでしまうかも知れない」と言って伝統的な経済学を批判したのです。その上でケインズは、不況の時に景気を回復させるのは神様は苦手だから、そこは政府がしっかりやろう、と言ったわけです。
■まずは中央銀行が金融を緩和すべきだが、効き目には限度あり
景気が悪い時には中央銀行(日本で言えば日銀)が金融緩和をして金利を引き下げるべきです。金利が高ければ、借金をして工場を建てても儲からないので、だれも工場を建てません。金利が高ければ、住宅ローンを借りて家を建てる人もいないでしょう。そうなると建設労働者が失業してしまいます。そこで、中央銀行が金融緩和をして金利を下げ、人々が借金をして工場や家を建てるように促すべきだ、というわけです。
もっとも、金利を下げて行くと、次第に金融緩和が効きにくくなるので、そうなったら公共投資をしよう、というのがケインズの主張の基本です。金利を下げて行くと金融政策が効かなくなることの説明が難解な理論なので、説明は省略します。
■公共投資で需要を作ろう
政府が橋や道路を作るために失業者を雇えば、その事で失業者が減りますが、効果はそれにとどまりません。雇われた元失業者がテレビを買えば、テレビメーカーが増産のために別の失業者を雇い、テレビメーカーに雇われた元失業者が別の物を買い、という具合に景気が回復してゆくからです。このように、政府が使った金額の何倍もの需要が生まれることを「乗数効果」と呼びます。
公共投資以外でも、減税という手段もあります。いずれにしても、不況の時に税収が多くない時に政府が公共投資をしたり減税をしたりすれば、資金が不足します。その分の借金をしてでも景気を回復させるべきだ、というのがケインズの主張なわけですね。
金融政策、公共投資、減税などによる景気の調節については、「第5章 景気のはなし」で詳しく記します。第5章では、精緻で難解な経済学理論ではなく、「現実を見つめる景気の予想屋」としての筆者の考え方を御披露するわけですが、筆者の考え方は比較的ケインズの考え方と近いので、楽しみにお待ち下さい。
■株価は美人投票の如し
経済学の本流とは離れますが、ケインズは、「株の値段は美人投票のようなものだ」と言いました。気をつける必要があるのは、ケインズ時代の美人投票は、今と異なり、優勝者に投票した審査員も景品がもらえたのだ、という事です。
そうなると、審査員は自分が美人だと思う候補ではなく優勝しそうな候補に投票するようになります。 審査員たちは「誰が美人であるか」よりも「他の審査員が誰に投票するのか」に興味があるので、候補者を眺めていないで審査員席の噂話に耳を傾けます。「C子が優勝しそうだ」という噂が流れると、皆がC子に投票するので、実際にC子が優勝するからです。
株の世界もこれと同じで、「D社の株が上がりそうだ」という噂が流れると、投資家(および投機家)たちがD社の株を買うので、実際にD社の株が値上がりする可能性が高いのです。
そこで、ケインズは「株で儲けようと思ったら、人々の噂話に耳を傾けなさい」と教えたのですね。もっとも、これは短期投資の話ですから注意が必要です。買った株を10年持っているつもりなら、他人の噂を気にすべきではありません。なんと言っても「人の噂も75日」ですから(笑)。
■マルクスは、神の見えざる手を否定し、政府の全面管理を主張
アダムスミスに全面的に反対したのがマルクスです。マルクスは、神の見えざる手を全面的に否定しました。「神様に任せておくと金持ちと貧乏人の差が開くばかりだから、経済のことは全部政府が管理して、平等な国を作ろう」と言ったのです。「共産主義」ですね。
一見すると理想的に見えますが、ソ連という国(現在のロシアを中心とした国)が実際にやってみたら、上手く行きませんでした。今でも「共産党」という党は世界各国にありますが、マルクスの言うとおりの国を目指している国は殆どありません。
そこで、なぜ上手く行かなかったのかを考えることで、如何に神の見えざる手が優れているのかを考えて行きたいと思います。
■格差は労働のインセンティブ
ソ連の共産党は、平等な国を作ろうとしました。しかし、そうなると「真面目に働いた人もサボった人も同じ給料だ」という事になりますから、誰も真面目に働かなくなり、「等しく貧しい国」になってしまったのです。ちなみに、インセンティブというのは「勉強したら御褒美をあげる」という場合の御褒美に当たります。
「働いたら高い給料を払う」というインセンティブを与えれば人々は真面目に働くのでしょうが、それでは共産主義の理想である平等な国は作れませんから。
さて、格差は、大きすぎると良くありません。特に、「貧しい家の子が教育を受けられないので豊かになるチャンスが与えられない」という事では問題です。しかし反対に、格差が全く無い国も問題なのです。 では、どの程度の格差が望ましいのか。これは国により人により考え方が異なるでしょう。国によって金持ちから重い税金をとる国と、皆から広く税金をとる国がありますから。
また、どのような格差なら許せるのか、という点も様々な考え方があります。懸命に働いて高い所得を得ている人がいるのは問題ないでしょう。では、巨額の遺産を受け取った人は?同じ能力と努力で起業した人が2人いて、片方が運良く億万長者になり、今一方が運悪く破産者になるのは?
筆者としては、人々の努力のインセンティブとなるような格差は良い格差で、そうでない格差は悪い格差だ、と考えているのですが、様々な考え方があるでしょうね。
■真面目な労働者に政府が褒美を与える制度も失敗
ソ連共産党は、理想を少しだけ横に置き、「真面目に働いた労働者には褒美を与える」ことにしました。しかし、これも上手く行きませんでした。誰が真面目に働いたのか、判断が難しかったからです。
こどもに勉強させようとする親は、「勉強したら褒美をあげる」と言うのでしょうが、子供が勉強していたか否かをどう判断するのでしょうか。机に座っていた時間の長さで判断しては、単に座っているだけかも知れません。テストの点数で判断しようとすると、「自分は頭が悪いので、勉強したけれども点数が悪かった」と言われた時に困ります。
ソ連共産党も、同じ悩みに直面しました。そこで、「能力の差は考えない。大量のパンを作った者には褒美を与える」としました。そうなると、ソ連国内のすべてのパン屋が「味は不味いが、作るのに手間がかからないパン」を作りはじめました。
人々は美味しいパンを求めて行列を作るのに、そこには商品は無く、山積みされた不味いパンの前には客はいない、という状況が出現したのです。「滞貨と行列」と呼ばれた現象でした。 ソ連政府の役人が国内のすべてのパンを試食して点数をつければ良かったのですが、それは当然不可能ですよね。
資本主義(アダムスミスやケインズの教えに従い、原則として神の見えざる手を大切にする経済)では、パンが美味しいか否かは政府の役人ではなく消費者が判断します。美味しいパンを作れば高い値段でも客が喜んで買うので儲かります。だからパン屋は手間がかかっても美味しいパンを作ろうと頑張るのです。
政府が経済に手出し口出ししない方が良い、という事が実感していただけましたでしょうか。
今回は、以上です。なお、本稿は厳密性よりもわかりやすさを優先していますので、細部が不正確な場合があります。事情ご賢察いただければ幸いです。
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