トランプ氏が米国の次期大統領に決まったことで、TPPが不成立になる可能性が高まりました。TPPに期待していた向きからは、これが日本経済の打撃になるとの声も聞かれますが、日本のマクロ経済を考える限りでは、影響はそれほど大きくなさそうです。著作権や医療福祉などの関係の論点も多いようですが、本稿では「農産物の輸入と工業製品の輸出の関税撤廃」に絞って話を進めることにします。

 

■農業人口が少ないのに、なぜ難航したのか・・・初心者向け解説

自由貿易というのは、お互いの国が得意な物を大量に作り、それを交換することで不得意な物を作らなくても良い、というものです。日本が自動車を輸出して、輸出代金で農産物を輸入する事は、日本にとって極めて大きなメリットがあります。日本が鎖国をしたとして、国内の農業生産品だけで1億人以上が食べていくのは大変辛いですから。

 

しかし、日本国全体にとっては利益でも、農家にとっては死活問題です。そこで、農家は必死に反対します。一方で、農産物の消費者や輸出企業の社員にとっては、「多くの人々が少しずつ得をするだけ」ですから、積極的に賛成する人は少ないでしょう。

 

政治家にとってみると、農家は固い票ですが、消費者等の票は浮動票ですから、農家を怒らせる事の方が遥かに恐怖だ、という事もありそうです。加えて、日本では「1票の格差」があるため、都市部選出の代議士の意見が政党内で通りにくい、といった事情もあるようです。

 

■農家には経済合理性以外の理由もありそう・・・都市住民である筆者の推測

経済合理性だけで考えれば、TPPが日本経済全体にとって利益となるのですから、あとは利益配分を考えれば良いわけです。輸出企業から税金をとって(増税しなくても、輸出企業の増益に伴う法人税収増加分だけで充分かも)、農家にバラまけば良いわけです。

 

もちろん、実際にはバラマキよりも、「高齢者には割増退職金を支払って離農してもらう」「それにより耕作放棄地となった土地は、若い農家が借りて大規模農業をしてもらう」といった対策が望ましいですが、もしかすると、これは都市出身である筆者の発想の貧困なのかも知れません。

 

TPPが導入される以前の問題として、現在の農業従事者を見ると、「零細な土地を高齢者が一人で耕していて、赤字である」というケースも多いようです。「それならば引退すれば良いのに」と思うのですが、「高齢者にとって、農作業は生き甲斐であり、健康法であり、ボケ防止であり、やめられない」「先祖代々の農業を終わらせるのは御先祖様に申し訳ない」といった思いがあるのでしょう。もちろん、「農地であれば税法上のメリットが受けられる」、という経済合理性も少しは影響しているのでしょうが。

 

■食料安全保障の問題は、重視する必要は無い

「現在でも既に食料自給率が低いのであるから、農業を保護しないと、食料自給率が更に下がり、食料安全保障の面で重大な懸念が生じる」と考えている人も多いでしょう。しかし、食料安全保障上の懸念は小さいでしょう。世界の食料輸出国を見渡せば、米国など、日本の友好国が多いですし、海上輸送の経路にも大きな問題はありません。原油の輸入相手国が中東地域に偏っていて、しかもその多くがホルムズ海峡を通って来るという状況と比べれば、状況は天と地ほど異なっているのです。

 

問題は、関税を維持して農業を保護し続けても、農業への若者の新規参入が少ない以上、10年もすれば現在の農業従事者の多くは引退(あるいは他界)するはずだ、という事です。TPPが成立してもしなくても、どうせ食料自給率は下がるのです。それを前提に諸政策を考える必要があるのです。

 

更に言えば、日本の食料安全保障を食料自給率で論じる事自体に問題があります。仮に石油の輸入が止まったら、トラクターが動かずに農業生産が激減するからです。したがって、「食料安全保障のために農業を保護する」ことは「原油の輸入は止まらず、食料の輸入だけ止まった場合」の対策をすることになりますが、それに意味があるのかどうか、疑問です。

 

■製造業にとって重要なのは関税より為替レート

以上、農産物に関してはTPPが成立してもしなくても大差ない、という事を論じて来ましたが、製造業にとっては、更に大差ない事です。現在、日本製品に高率の輸入関税を課しているのは経済規模の小さな途上国ですから、仮に関税が大幅に下がったとしても、日本製品の輸出が著増するとも思われません。

 

米国等も、対日輸入関税は存在していますが、品目は限定的で、何よりも関税率がそれほど高くありません。輸出企業にとっては、為替レートの変動の方が遥かに大きな関心事項でしょう。そして、1ドルがアベノミクス前の80円から120円になっても輸出数量がほとんど増えなかった事を考えると、先進国の対日輸入関税が撤廃されたとしても、輸出数量が著増するとは到底考えにくいでしょう。

 

■制度が変更されるのではなく、「変更されない」のだから大騒ぎは不要

最後に指摘しておきたいのは、今回は大騒ぎする必要は無い、という事です。制度が変更されるのであれば、「大変な事が起きるかも」と心配するのも理解できますが、今回はせいぜい「良いことが起きそうだと期待していたのに、何も起きない事になりそうだ」といった程度の話です。

 

世の中には悲観論を述べる事で自分を賢く見せようとする人、政府を批判しようとする人、目立とうとする人、等々がいますが、今回に関しては、大騒ぎするよりも、「今まで通りだね」と落ち着いていれば良いでしょう。