だから、何度も伝えてる。

物事の歴史を考えるのは、

大事なんだよ。


「車輪がある!」

「ずっと回す事が出来る道具だ!」

「滑車として、ロープと車輪で物を持ち上げる装置が有ったらしい」

「どれだけ回すかを競う遊びとした独楽という物がある!」

つまり、

何かを運んだりするのに、

一番やりやすい形は、

車であり、

物質を運ぶなら、

俺の記念日に良く訪ねてくれた、

トラック屋さんの署長が凄い!

本当にきっちり仕事を行う、

物凄くカッコいいおじちゃん!


けど、逆だ。

うちの親父はそれ以上に、

驚愕過ぎる。

だって、全国1位のバス会社の、

運転手としての神様扱いである!


というのを考えた時に、

今の地方のバスの運転は、

平塚のバスの運転の考えとは、

違いすぎて気持ち悪い。


何故なら、

坂を少しでも登ればわかるだろう。


登る事は歩きでもできる!

けれど、速度を落とすのは、

ブレーキしか無いから、

ブレーキが効かない場合、

絶対に死なない理由が無い!

上で、

今の地方のバスの運転は、

「頭文字D」

という

「ギャンブルとしての運転」

みたいな、

「バスで道を駆け抜ける運転」

となっている。


けれど、考えてみて欲しい。

バスの中に乗ってるのは、

絶対に人なので、

山の上から降りるなら、

乗り物に乗っている以上、

どうやって速度を落とすか?


という事こそが必要で、

「ブレーキ」

というのは、

「車輪にゴムみたいな物で摩擦をわざと発生させて、減速させている!」

のに、

今の速度馬鹿共は、

「車輪すら無くして、

列車を電磁加速砲の様に、

物凄いスピードで、

移動させようとしている」

のだが、ほら。

「旅立つ事は簡単だ。

けれど、

帰る日を決めなければ、

必ず二度と帰る事は無い人になるよ!」

の典型例が、

「大分県で散々鉄道の運行責任者をやった、

本来は大分県の米農家の跡取り息子」

である。


流石にそのレベルになると、

「舐め腐るんじゃねぇぞ?

良い加減にしろよ?てめぇら?」

と言わざる得ないのよね。


だから、何度も言ってる。


「歯車」

というのは

「車輪」

と違って、

組み上げる物だから、

構築に使われるが、

例えば、

「一輪車」

という存在があって、

「車輪1個あれば、

移動する事そのものは、

人力で可能だ!

けれど、バランスが悪くて、

まず簡単に扱えない!」

という事が分からないなら、

「回転する1つの車輪が止まるのは、時間を待つしかないので、

坂の上で一輪車は全く必要の無いものだ!」

という事を知っているかどうかで、

「運転」

という物の見方が変わると思うよ。