あぁ。
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
エロブックから
オーディオビジュアルから
エロアニメから
エロビデオから
エロゲまで。
色々オタクとして、
オタ友達に助けて貰ったりしたからこそ思う。
「過激な表現があるからいけないんだ」
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
とコンテンツを叩く人がいるし、
俺は過激な表現のエロコンテンツも見るけれど。
36歳で彼女いた事無い
正真正銘の童貞だよ。
酔った勢いで女性スタッフ抱いちゃえよ。
レベルのテキトーさをパチ屋の上司から嘘の度数の酒を盛られた事もあるけど。
「作品」も「酒」も「武器」も同じ。
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
様々な作品。
様々な酒。
それらそのものは、
誰かの幸せに繋がればと、
合意の上で作られたモノ。
だけど、
どんなモノも、
「だから、誰かを攻撃して良いんだ」
って大義名分に変わってしまった時、
人は躊躇うこと無く悪事を働く。
京アニを襲撃した、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
青葉真司は
「作品の案をパクられたから放火したんだ」
「涼宮ハルヒの憂鬱という作品が悪いんだ」
と語った。
でも、創作は常にパクリながらもオリジナリティを混ぜるのが普通。
そして、作品はあくまで作品だ。
と一線を引けないなら、
それは狂信者。
例えば、エロ関係なく過激な作品で、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
「サイコパス」
という作品が問題作とされた。
確かに
「電子銃で人が一種で肉塊に変わる表現」
はあった。
けど、あの作品の本質は、
極端な監視社会が進展して、
犯罪者を未然に割り出すシステムが横行したが、
実はそのシステムすら異常者の脳で運営されてた
という点にあって、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
「犯罪者発生予想と危険度の数値としていた指標すら、異常者とされる人の脳を繋げて社会の秩序を守るシステムとしていた」
という、
社会は正しいのだ。
数字は正しいのだ。
を盲目的に信じるのが危険だ。
を投げ掛けた作品だった。
万人にオススメな作品かというと、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
「まぁ過激な表現は確かにある」
けれど、
「自己の正義を立ち止まって考えるクセを付けよう」
と投げかけたい作品だったとも言えるので、
「ニュースで問題作として話題になった作品だから見てはならない」
訳では無いと思う。
それと同じように、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
「過激なエロコンテンツ」
があった時に、
「過激なエロ表現」
が悪いんじゃない。
「過激なエロ表現が、現実の女性は皆求めてる事だ」
とか勘違いして思い込むのがまずい。
実際、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月16日
「現実の女性」
でも価値観は多様だから、
「過激なエロ表現位に扱われたい」
人もいるのかもしれない。
「いるかどうかまで含めて、
それはその人それぞれの考えに依存するからこそ、
思い込まずに相手に問いかける」
のが大事で、
「過激な」
とある以上
「良くある」
ではない。