禁句が多すぎるんだよなぁ。
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月15日
で、
「敬意のない敬語・作法」
という形式美がやたらと流通する。
「女と家の組み合わせが主婦を連想させて不快だ」
とか言う奴いるけど、
「男家女家」
で
「かぞく」
と読んでも良いわけで。
マナー講師的な奴の方がウザイ。
フェミ的な意味で。 https://t.co/JHQhzWBMLF
例えば、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月15日
お寿司とかでもそうだけど、
「手皿ははしたない!
小皿を移動させるべき!」
とかマナー講師は言うけれど、
必要なのは
「可能な限り相手の物を汚さない心遣い」
とかであって、
「行為はその心の延長でしかない」
筈なんだけどね。
で、場合や相手によって、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月15日
「手皿の方が汚さないかな?」
とか
「小皿を移動した方が良いかな?」
とかあるけど、
「悩まないように共通の感覚として、一応ルール付けしよう」
とはするけれど、
「ノックは3回じゃないと失礼だから辞めろ!」
って脅すのは礼節としてどうなのよ?と。
で、神社への参拝とかもそうだけどさ。
「ニ礼二拍手一礼だ」
というのは一般的な共通ルールとしてあって、
「神様に対する敬意を示すのだから、人に対するモノより丁重にしたい所だけど、沢山の人が参った時とかに、やたら敬意を示す行動を長々1人でやられたら、いつまで経っても皆の参拝が終わらない!
という訳で、大体こんなもんじゃね?
と神社の管理人の神主的にルールを決めて広めた」
とかが最初にあって、
まぁ大きく逸脱されない限り、
困る人も少ないだろう。
とかなんじゃないかな?
って俺は思うけどね。
何故なら、少なくとも俺が神主などとしてルールを設定するなら、
そういうモノの見方でルールを決めるから。
手を洗う所作とかも、
「ちゃんと洗えよ」
って作法があるのは、
「時代背景的に、昔は今ほど衛生用品が無いから、神に祈るのに汚れを付けるんじゃない」
とか
「口ゆすぐのは構わね〜けど、
口をつけた箇所を洗わずに、
他者に汚れを移したりするな。
最悪疫病の元になるだろ」
とか
「色々気を揉んでルール設定したら、大体適当なのはこんなもんだろ」
ってのがルールの設定者に応じてあるだけで、
根本的にあるのは
「思い遣り」
とかだと俺は思ってるね。
で、
「禁句」
は究極的に言うと、
「コイツが喋ってるのがムカツク」
レベルの話しで、
そこまで不快なら、
貴方が個人でその人の関わりを断てば良いだけで、
他者の言論を封じて良い権利は無いのでは?
と思うね。
だからブログ書いててウゼェのは、
「俺のブログに不満がある」
としたらそれは良いけど、
「いちいち俺を正そうとしてイチャモンをつける」
奴で、
「不満述べるのは構わないが、
自身のブログへの引用などでやってくれないかな?」
と思う。
それであれば、
「わざわざその人を観に行ってる、俺にも非がある」
からね。
あぁ。まぁ。
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年4月15日
「給料貰う組織の一環として、
顧客対応は此の様にすると、
会社の方針で決まってる」
というのは、
「雇用契約に基づく、金銭という信用に関わる、その場の規則」
だから守るのは道理だと思うけどね。