https://t.co/BxlVdP9epB
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年2月4日
「この声が枯れるくらいに、
君に好きと言えば良かった」
美人と付き合えるのは、美人に告白したやつだけだ。#美しい名前#青いベンチ https://t.co/F06DmtWewY
物事が上手くいかなかった時に、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年2月4日
「色々やってみたけど、世間の潮流や、商品の品質、広告宣伝手法などの複合的な理由で、全く売れる事が無かった」
とかならまだ理解できるけど、
「そもそも何かを提供する事をしてない」
のに
「評価されなかった」
は
「必然の自明の理でしかない」
と俺は思う。
例えば、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2024年2月4日
「音楽家が羨ましいな」
というのがあった時に、
「自分自身が良く歌を歌ったり、
楽器を弾いたり、
作詞作曲をしたりして、
世の中に提出したけど、
ウケる事は無かった」
というなら、
確かに才能の問題かも知れないが、
多くの場合は
「才能がどうの言う段階にすら居ない」
が真理だと思う
才能がどうこう語る前に、
まず勝負の舞台に上がろうとしない人がいて、
勝負そのものが行われていないんだから、
そこに勝利も敗北もない。
ただ虚しい無だけがある。
という事案が割と多いと思うね。俺は。