「やりたくない事を、やるのが仕事だ」
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2023年7月27日
と人事は力強く言いますが、僕は違うと思います。
「誰かがやって欲しいと思ってる事(需要)を、やってあげる(供給)のが仕事だ」
と思います。
だから
「需要があることで、やってあげられる事で、やりたい事」
が真の天職です。
ここ重要。
仕事の本質は
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2023年7月27日
「幸せ作り」
なので(経世済民とはそういう意味)
「需要があることで、供給ができる事だけど、やりたくない事」
は確かに
「相手は幸せになってる」
という意味で仕事ですが、
「自分は不幸だ」
の時点で本来は不完全な仕事なんです。
「これをすると相手の幸せにも繋がるし、自分も幸せだと思えるぞ」
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2023年7月27日
が本当の天職です。
で、なんで人事が
「やりたくない事をやるのが仕事だ!」
と思いこんでるかというと、
「給料を貰える幸せなどは無視した上で、事務処理などの雑務をしてる苦痛のみを仕事だと思ってるから」
ですよ。
「需要があることで、供給もできる事だけど、やりたくはない面倒臭い作業だ」
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2023年7月27日
というのが世の中に結構あって(事務系は典型的な話し)、
「作業としては面倒臭いけど、給料が貰えるのは面倒臭さ以上に魅力だから、『やりたい』」
という話しなのよ。
「やりたくない事を、やるのが仕事だ」
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2023年7月27日
って偉そうに人事は言うけど、
「給料を貰いたい」
という
「やりたい事」
の為に
「他者からの依頼を遂行している」
だけです。
やりたくない事をやってる、ではない。
で、雇用体系でいうなら、
「貴方に常に様々な依頼(需要)をするつもりだ」
が正社員。
「貴方に限定的にやって欲しい事を依頼するつもりだ」
が契約社員。
「貴方に専門的な業務を依頼するつもりだ」
が派遣社員。
「貴方に簡易的な仕事を依頼するつもりだ」
がアルバイト。
という区分が通常だから、
「依頼に対する供給の質によって、報酬が変動する」
という事で様々な条件に繋がっていく、と。
まぁ、現実社会的には
「アルバイトの依頼の筈なのに、正社員の供給を求められてる」
みたいな事案が少なくないんだけれども。
ここが理論と実践の違い。
今勤めてるうちの会社の良い所は、
「アルバイトはアルバイトとしての職責」
「正社員は正社員としての職責」
というのが割と道理に適って行われてるな。
と思う事が多いのが美点だと思ってる。
あぁ。余談だけど、
— 伊佐 君美 (@kimiyoshi_isa) 2023年7月27日
「やって欲しい事(需要可)」
で、
「やりたい事(意欲可)
だけど、
「できない事(供給不可)」
という事を埋める為に行われる仕事の事を、
「教育」
という表現をするので、
日本が今1番取り組まないといけないのは、
「教育の強化」
だと思います。
特に社会人就活生の。
「需要」「供給」「意欲」
の具体例として、
芸能人とか考えると分かりやすいと思う。
需要
「良い音楽が聴きたい!」
供給
「私は歌を歌うのが上手い」
意欲
「私は歌を歌いたい!」
の結果なるのが、歌手。
需要
「ドラマが見たい!」
供給
「私は演技が得意!」
意欲
「私はドラマに出演したい!」
の結果なるのが、俳優や女優。
需要
「笑い転げたい!」
供給
「人を笑わせんの得意!」
意欲
「人を笑わせる仕事がしたい!」
でなるのが、お笑い芸人や落語家。
需要と供給と意欲の、
「一つでも欠けてることをやる」
と
「なんか違えんだよな」
ってモヤモヤを抱える事になる。
別に意欲がなくても、
需要に対して供給さえ出来れば、
お金を稼ぐ事はできるんだけど、
意欲がない事は基本持続しないので、
「こんな人生生きてても無駄だから死ぬ」
とか言い出す羽目になる。
まぁ仕事だけが全員の生き甲斐じゃないし、
「稼いだ金で家族を幸せにできるなら、それが俺の意欲だ」
というタイプもいるから、
職務内容に対する拘りは特に無い人もいるけどね。