安心の世界へ
心の伴奏者 山田季美予です。
今日は私の人生が失敗してきた理由を書いていきます。
安心の世界と書いているけど
最近まで
全く安心安全の世界ではなかったです。
Sbf の村中先生のお会いしていなかったら
今頃どうなっていたかと思います。
今も先生のセッションを受けています。
Sbfワークを使ってのセッションの時もあるし、
現在地の確認だったりもします。
先日のセッションです。
「なんかずっと逃げている気がします。」
から始まって
私は
「私の力ではなんともならない」
と思っていることがありました。
過去のセッションで
私はとても「ずるい」ということは
わかっていたので
なんか怪しい気がしていました。
この「私の力ではなんともならない」は
本当かの記憶をたどり、
整合性を確かめたところ
思った通り、
矛盾があって
私の力ではなんともならない
ことにして
(責任、貢献)を
避けていることがわかりました。
この理由から
私の力ではなんともならない
ことにしたことは
全部自分が作り出していたかと思ったら
それは幸せからの遠回りが
遠回り過ぎるだろうと
自分の人生が残念過ぎました。
さて、
最初に思い出したのは
小学6年の時の代表になったリレーでのこと。
アンカーでバトンを受けとるのですが
ビリで
前の選手とずいぶん離れていて
カーブの手前で追い付きました。
ですが、追い付いたところから足が重くて走れず、結局、ビリ。
水泳大会
こちらもアンカーで飛び込み、クラスはビリで先に飛び込んだ人と10m以上離れていて
拍手でゴール。
はい、ビリでした。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。
私は、高校受験に
失敗しています。
当日発熱、
いつも解けてた問題は
頭が真っ白になって
全然わからなくなったのを覚えています。
当時、母が不安定で
この記憶があるということは母のせいとでもいいたいのか、私。😢
受験の話しは
人の話し、助言を聞かない
という私の当時の思い込みもあります。
こちらについては後半で。
まだほかにもこういうことがありました。
これらの話しから、
私は(誰かのために貢献することがうまくいってはいけない)みたいだ
ということが確認されて
それは幸せから遠ざかりますねと。
あなたは過去のセッションからも
誰かのために
家族の為に
何かをするということを
考えたことも
誰かのために何かをすると言うことがなかったようね。
というより
それを考えたこともないと
考えられるから
発想にない
が本当のところ
ですかね。
はい、
その発想さえなかったです。
これはね、
なぜ発想がないかというと
過去、あなたに手を差しのべて下さった方々に
全く感謝を感じて来なかったから。
この感謝が出来ると
やってもらったことが
無意識に自動的に出来るようになります。
それが
あなたにないということですね。
つまり、感謝を感じることがなかったということね。
はい、
本当そうでした。
受けたものを返すことがこの世界だから
これからあなたは
やりすぎても足りないほど
命がけで誰かのために何かをすることをする番かもしれないですね。
あなたはそうしてもらって今日まできていますから。
あー、本当にそうです。
姉は私がしんどい時、
東京で、盲腸になって一人で手術をしなければいかない時、
次の日には病室にいてくれて
八ヶ岳のアルバイトが大変な時、子どもたちを連れて
手伝いにきてくれて
初めてやった支配人という仕事。
林間学校の施設でしたが
全部わからなくて
1カ月以上、
寝ているのか起きているのか
わからない状態でした。
体制がまだ整っておらず
GW を迎えて
というか初めてなので
アクシデント対応に必死でした。
その時もずっとそばにいて
私のサポート、
イライラしても
誰にも言えないので
姉に何度八つ当たりしたか。
これは今に始まったことではなく
過去に沢山ありました。
受験に失敗し、
姉の友人が何か言った時も
姉がかばってくれました。
私、なんてことしてきたんだと
今さらながらに
教えられ、
気づくってどうなんだ。😢
私の人生は
本当に
わがままで
自己中心的で生きてきています。
と、ここで
先生から
何かうまくいってはいけない
ことを証明するために
これが起きているみたいね
ということは
そう思ったことがあるのでは…。
ここで
思い出したことがありました。
小学3年の時
町内のお祭りに参加しました。
高学年が獅子舞の頭に入り、その下の子どもらは後ろの緑の風呂敷みたいなところにつかまって
ご近所を練り歩くというものです。
私の記憶では
小さいのにやりたいといって
うまくできなくて
とても恥ずかしかったという記憶でした。
前日に
触っていけない獅子の頭をこっそりかぶって遊んでいます。
な~んだ簡単だ、
と思ったかはわからないですが
かぶるのは出来るって思ったようです。
次の日です。
自分から獅子の中に入りたいと。
6年生のお姉さんやご近所さんは
あなたは小さいから
力がないから大変だよ
できないから
やめといたら、
と言われました。
でも、昨日のことがあるので
出来ると言いはってやると聞かない。
案の定、重くて
足で踏ん張っても前に進めない、
お姉さん方から
「でしょう、だから言ったでしょ…。」
私は
もう恥ずかしくて
恥ずかしくて。
私ができないんじゃない、
後ろから引っ張った後ろでつかまっている人が悪い!
と、言った?
そう、この時
私はできない、
まだ力のないことを認めず、
私は悪くない、
迷惑を掛けてない!
私の当時の力では及ばない
圧倒的な力を理由に
できないことにした
これが
リレーでは、足が重くなって
私は悪くない。
そもそも、
私がスタートした時、
ビリだったじゃない、
水泳大会も
高校受験は
当時の塾の先生が
山田さん、もう少しだから頑張ってやらないと受験危ないよ、
もしくは1ランク落としたら
の助言を聞かなかった。
獅子舞の中に入りたかった理由
小さいけどできたらカッコいい、
すごいね
といわれるにありました。
これでは力もでない。
失敗したことを
もっと真摯に受け止めて
クラスや町内等、
チームの為に誠意を尽くすことをしたか。
したなら
恥ずかしくもなく
隠れたい
逃げたい気持ちにもならなかった
かっこよくみられたい
私、すごいでしょ
話しも聞かない
また、
片方では
楽がしたいから
できないふり、
弱いふり
これでは
幸せから遠ざかります。
私が人生で失敗してきたこと
これらもが理由だったんだとわかりました。
この後、
数日、
今後の人生どう生きるか考えました。
姉はじめ、家族と
関わって下さった皆さんに
私は何ができるのか
と考えました。
それが、
ここまで私を導いてくれた
この強力なセッションで
今も生きづらさを抱いているかたに伴走する事ではないかと。
それが、私が出来ること。
少しずつでも
このセッションのこと、
変化した皆さんのことを発信していこうと思いました。
もし、うまく行っていない、
何か変だと思ったら
子どもの時の誤解が
きっとあります。
少しでも早く気づかれますように。
受けたものの大きさ、優しさに気づく時、心から感謝ができます。
感謝が出来る世界は
本当に
安心な世界で
愛で出来ている世界だなと思います。