こんにちは

未来書き換え自分年表認定講師の

宮崎貴美子です。

 

 

皆さんは、

努力が報われなくて

心が折れそうになり、

前に進めなくなったことはありませんか?

 

 

私は

努力しても思うような結果にな

報われないことで心が折れてしまい

動けなくなるほどに辛い思いをしたことがあります。

 

 

今日は、最近あることをきっかけに

努力し、思うような結果にならなくても

心が折れるほどに落ち込むことがなくなった

理由を伝えたいと思います。

 

 

努力をしても報われずに

心が折れ、前に進めずにいる方は、

是非、最後まで読んでみてくださいね。

 

 

私は幼少期から

努力をしても思うような結果にならずに落ち込み

努力したことさえも無駄だったと傷つくことが

沢山ありました。

 

 

例えば、幼少期の頃、

仕事から帰った母に話を聞いて欲しくて

待ってましたとばかりに

「ねえ聞いて」とまとわりついていたんですよ。

 

 

母は

「夕飯の準備があるでしょ」

「洗濯物を畳まないといけないから」

と、なかなか目を合わせてくれないし

話を遮られることが多かったんですよ。

 

 

そして、それでも喋るのをやめないと

「うるさい」、「邪魔」、「後で」が繰り返され

寝る時には聞いてくれるかなと待っていても

「先に寝ていなさい」と言うだけで

 

 

いつまでたってもお布団に来てくれず

いつのまにか朝になっていて

いつだったら私の話を聞いてくれるのだろうと

寂しい思いをしていました。

 

 

そこで

どうやったら母が私の話を聞いてくれるかと考えて

お手伝いをすることにしたんですよ。

 

 

お皿を出したり、お箸を並べたり、から始まり

母が洗ったお皿をふいて、片付けたり

洗濯物の畳み方を母に教えてもらうようになりました。

 

 

母の横で少しでも母に話を聞いて欲しくて

お手伝いをしながら話しかけてみるんですが

「疲れた」、「頭が痛い」と

母は忙しく手を動かすばかりだったんですね。

 

 

しばらくすると

母は「お皿洗っておいてね」、「洗濯物を畳んでおいてね」

と言うだけで、夕食後は持ち帰った仕事に専念するようになり

ますます会話がない状態になったんですよ。

 

 

お手伝いしたら、母の時間に余裕が出来て

会話をしてくれるかなと頑張ったのに

私が思っていたとおりにはなりませんでした。

 

 

母に、お手伝いすることは大人になって役立つ

と言われたこともショックで、

こんなはずじゃなかったと

やるせない気持ちになりました。

 

 

母に喜んでもらいたい

私に向き合って会話をして欲しい思いは

小学生なっても消えることはなく

新たなチャレンジをしたんです。

 

 

母は変わらず忙しく

頻繁に頭痛を訴えるようになっていたので

帰宅後の家事が楽になるようにと

料理をするようになったんですね。

 

 

夕飯を作れば、母が喜んでくれるかなと

時間に余裕が出来れば話してくれるかなと

家庭科の授業で習ったものや

料理の本を見て作るようになったんです。

 

 

初めて作った時は

とても喜んでくれたんですよ。

最初は1品だったのが、

だんだんレパートリーも増えて

 

 

母が好きな料理にチャレンジしたり

休みの日にはお菓子を作ってみたり

母が美味しそうに食べてくれる顔がみたくて

料理を頑張ったんですよ。

 

 

でも

成績が落ちた時に

「料理とかしなくていいから、勉強しなさい」

と母に言われたんですよ。

 

 

料理が好きで、母の笑顔が好きで

料理が唯一の楽しみだったのに

頑張っても料理人になるわけじゃないのに

と母に言われ傷つきました。

 

 

どんなに頑張って料理ができるようになっても

母が私とゆっくりお喋りすることはなく

私の気持ちを理解してもらえることはないとわかって

母のために料理をしたいと思わなくなったんですよ。

 

 

熊本地震の時にも私の努力は報われませんでした。

半壊した実家は足の踏み場もないほどのひどい状況で

倒れた家具の隙間にいた両親を助け出し、

私たちのマンションの近くの学校に避難したんです。

 

 

倒壊した家、湾曲した道路、余震が続く中

実家の校区の避難所に行けない両親をみかねて

私たちと生活することになったんです。

 

 

避難所の体育館には支援物資もなく、

腰が痛くて眠れないと文句をいう両親を

マンションに連れて帰りました。

 

 

両親のための布団、テレビ、冷蔵庫等を買い

主人のお兄さんが奈良から届けてくれた

水、食べ物や日用品や職場からの支援物資で

なんとか両親にもご飯を食べさせることができました。

 

 

仕事を何日も休むこともできず、

娘の心のケアを一番に考えて

衣食住は何とかするから

怖がる娘の側にいて欲しいとお願いしたんです。

 

 

それなのに

私が仕事に行った後に、娘を置いて

実家の片付けに行っていたんですよ。

 

 

娘は余震のたびに震えて電話してくるんです。

私は母にマンションにいて欲しい、

怖がる娘の側に居て欲しいと

何度もお願いしても、言うことを聞いてくれませんでした。

 

 

両親のためにお風呂に入るために何時間も並び

支援してもらったものでご飯を作り、

少しでも快適に過ごしてもらおうと努力しても

休みの日には一緒に片付けに行くと説得しても

 

 

娘のために家にいてくれることはなく

当たり前のようにご飯を食べ、布団で寝て

家の片付けに行くことが続きました。

 

 

そして、ライフラインが復旧し

家の片付けが終わったからと

マンションを出て行ったんですよ。

こんな狭いところには住めないと言って。

 

 

どんなに心を尽くしても

母は私の気持ちをわかってくれなかった

この非常時でも助けてくれなかったという思いは

深い傷となったんですよ。

 

 

この心の傷は癒されることもないまま、

母を介護することになったんです。

 

 

転倒したから国立病院に来て入院の手続きをして

国立からの転院先が気に入らないからどうにかして

母はキーマンとして私を指定し

当たり前のように私に頼るようになったんですよ。

 

 

仕事中でも電話をかけてきて要件だけ言って切る

その度に仕事を休み、母のところに行き

母を優先しなければ後悔するという思いに

疲弊してしまったんですよ。

 

 

結局、

仕事を辞めて介護に専念することになったんですが

母は入退院を繰り返し、認知症とうつ病の症状が出てきて

施設への入居を勧めることにしたんです。

 

 

医療関係者、ケアマネ、色々な方にも手伝ってもらい

メリットを言い聞かせ、母の施設行きを勧めても

母からは、あんたの世話にはならない

家で過ごせると頑なに施設の入居を拒否され

 

 

そしてとうとう

家で転倒し、頭から出血して呆然と座っている母を見て

救急車を呼び、緊急手術をしてもらうことになったんです。

それでも、私の顔をみると家に帰ると騒ぎ

 

 

家に帰れないことを説明すると、母は

死にたいと繰り返すようになったんですよ。

入居できる施設がないことに奔走し

施設に入ってもらうまでに2年ほどかかりました。

 

 

それでも、顔をみれば死にたいと言い

電話をすれば、明日家に帰ると言い

母の世話をしてくれる人達にどれだけ頭を下げ

どんなに良い環境を整えても

 

 

私が勝手に施設に閉じ込めたと言わんばかりの態度に

どんなに母のために努力をしても報われない

母の声を聴くたびに暴言が胸に刺さり、

心が折れてしまいました。

 

 

折れた心の治療のためにカウンセリングに通い、

心の学びを始めましたが、母の言葉で傷つき、

母のためにしている努力が報われないという思いは

膨らむばかりで、前に進むことができなくなりました。

 

 

このままでは、私がおかしくなる、

介護で私の人生はくるってしまうと

モヤモヤしているときに

「未来書き換え自分年表作成講座」に出会いました。

 

 

その内容は、現在の自分の価値観が

幼少期の両親から与えられた価値観から

作られていて、それを

講座ではリミッティングビリーフと呼ぶのですが、

 

 

このリミッテイングビリーフが

どのように生まれたのか、

今の苦しみの原因がわかる講座でした。

 

 

どんなに努力しても母は認めてくれない

母は私の気持ちをわかってくれない

母を中心の生活から解放されたいと

受講することを決めました。

 

 

すると受講後、

1週間くらいで、気持ちに変化が出てきたんですよ。

 

 

私がしていた努力は無駄ではなかった

母は手伝いをしたり、料理を作ったことで

母の笑顔を見れたことを喜び

役に立てて良かったと思う自分がいたんです。

 

 

そして

母の笑顔に満足できずに

見返りを求め、それがないことで

勝手に傷ついていたことに気づきました。

 

 

それと同時に、

母の「ありがとう」には計り知れない思いが

つまっていたんではないかと気づいたんですよ。

 

 

このリミッテイングビリーフによって

努力が報われなかったのではなく

母からの見返りがもらえないことに傷つき、

心が折れていたとわかったんですよ。

 

 

未来年表で価値観を書き換えることで

努力をしたことは報われていたし

私のエゴが原因で心が折れたと思っていた

と言えるようになったんですね。

 

 

リミッテイングビリーフを知ることで

自分の気持ちが整理され、親の気持ちが見え

愛情のかけ違いから生まれた悲しみは手放せる

この気持ちを伝えたいと思うようになったんです。

 

 

もしも以前の私のように

努力が報われずに心が折れ、

前に進めないと思っている方は、

 

 

未来書き換え自分年表で、

リミッテイングビリーフによる価値観を書き換えることで

悲しみが、優しく温かな気持ちに変化することを伝えたいです。

 

 

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