死生観について考えます。

死ぬときに笑って「ありがとう」と言って死にたい。子どもにも「ありがとう」と言って欲しいかな。

でも、死んだ後、実家がゴミだらけだったら、片付ける子どもは「なんで片づけてないのよ!」というでしょう。

 

今、私がそんな状態です。

実家に行くことが苦痛です。

毎回指定のゴミ袋(大)1袋分いっぱいにして持ち帰っています。

部屋の寒さに耐えられないのも片付けがはかどらない理由の1つですが、色々なものが目につき、感情が揺さぶられて、手がとまります。

 

まだ実家に戻って住むことを諦めていない両親。

90歳を超えてもまだ元気で、口も達者です。でも、歩行器がないと歩く時によろけます。ペットボトルの蓋も開けられません。

草取りや庭いじり、DIYが大好きだった父、手先が器用で私や孫の洋服も作ってくれていた母

倉庫にいくつもあるカマやのこぎり、軒下にある角材、工業用のミシン、刺繡糸や毛糸も祖母の裁縫箱の横に置かれたまま

どうしたらいいの?と実家に行く度に口からでます。

 

家が片付かないと貸すことも、売ることも、更地にすることもできません。

 

「死んだら勝手にすればいい」と言われ、「死ぬまで何もしないつもりだったのか」と思います。

そして、今も使わない、使えないものを「どうする」と聞いても答えない両親に怒りが生まれます。

すべてが宝物、すべてが両親のもの、なら、使わないものをどうするかを決めるのも両親だったはず。

でも何も決めていなかった、何もしなかったのだから仕方がない。

この「仕方がない」の言葉の裏にあるドロドロした気持ちが生まれるたびにうんざりします。

 

主人の実家は、最終的には不動産屋さんに依頼し、すべて処分してもらいました。

でも、その前に兄夫婦と一緒に思い出話しを聞きながら、片付けをする機会がありました。

今、主人の実家は喫茶店になり、まだお義父さんが住んでいた時と同じ形が残っています。

キレイに片付き、キレイな思い出が残り、家を通してお義父さんの笑顔を思い出すことができて嬉しいです。

 

自分の人生をどうしていくか、延命治療のことなどの医療や介護のこと、財産のことを決めておくべきです。

もちろん家のことも。

死んだ後に文句を言われたくない、嫌な思いを子どもにさせたくない

そのためには「何を決めておくのか」を知り、「どうする」について可視化できる状態にすべきです。

私みたいな気持ちを味わう人が減るといいなと思いながら、相談会では話します。