挫折と共に!(第一回調停にて)

(はじめに)

 こんにちは。父親が親権を取るのは非常に難しいと先般もお話ししましたが、今まで一緒に暮らしていた子供と急に離される事は、父親でも母親でも悲しい事は間違いないんです。それなのにこの国の司法は「単独親権」を今だ採用し、その為あらゆる悲劇が起こっています。

 悲劇の事件が起こっては消え、また起っては消え、その度に犠牲になるのは何時も子供達です。それなのに何故単独親権を共同親権に変えないのか?その理由はもうここでは述べませんが、離婚の増加と親権問題の増加は正比例の如く伸びています。またそれに伴って子の虐待も伸びています。この事実を司法を携わる人々は全く知らないわけがない。司法は人の為にあるはずなのに、今だ改善しようとしない。それが人を苦しめているのに・・・。

 さて現在私は相手方(嫁)から親権を奪い返し、子供二人を育てています。相手方から親権を奪い返すことは容易ではありませんでした。私の場合は「運」もあったと思いますが、それは「挫折、挫折」の繰り返しでした。ただ私は子の親権を奪われても「何時か必ず!」とそれだけは諦めず心底思っていました。子を想う信念が必ず未来に繋がる事を私は信じていました。だから現状があなたに取ってどん底であっても、あなたがその信念を捨てない限りは必ず時期がくれば「きっと報われるのだ!」と信じて頑張ってください!法の知識も何も無いこんな無知の私でも親権を取り戻せたのだから!さあ!勇気を持って前に進みましょう!あなたを心から応援していますよ!

(本文)

 強制執行され子供を連れ去られた私は、もうどん底状態でした。仕事も手がつかず、食事も喉が通らず、夜も寝れない状態でした。正直、精神状態も限界に来ていました。ただ恥ずかしながら、毎日毎日「涙」だけが出ていました。シーンと静まり返った家の中。今まで私のカワイイ子供がここに居たのに、居ない現実。この現実に私はもう耐えきれない状態でした。愛する子を奪われた親のこの悲しみはは本当に体験したものでないと分からないと思います。もう悲しみを通り越して「苦しい」と言うのが体験した私の本音です。

 数日経って私は自分の母と弁護士だけに電話を入れました。母からは「仕方がない。頑張りなさい。」と謂われ励まされ、弁護士は「そうですか。強制執行されてしまいましたか。次回調停で頑張って行きましょう。」と言うだけが回答でした。もっと両者とも私の心を癒す言葉が欲しい処ですが、現実はそれ以上望んでも仕方がありません。私はもう涙も枯れて、一人で家の中に閉じこもり、毎日毎日「苦しみ」が襲い、ただもう生きると言う自信さへ無くしそうでした。

 そうこうしている内に日々が過ぎ、いよいよ調停期日を向かえ、私は家裁に行く事となり、家裁で弁護士と合流しました。そして調停が始まりました。そこには二人の女性の調停委員が居り、話が始まりました。最初は子の調停は相手方の申し立てとこちら側の申し立てを一緒にした家事事件として扱い今後は(調停を)進めてゆくと言う事実と、本件は「離婚」と「子の親権」問題が大きな争点である認識を改めて調停委員と両者代理人、及び私と相手方の確認から話が始まりました。

 「離婚」に関しては双方意義が無い事と、相手方からは慰謝料請求は無く、ただ財産分与と子の親権の譲渡を望むと言う事でした。私の代理人の弁護士は「離婚」と「財産分与」に関しては受容するが「親権」だけは譲れないと主張しました。そして相手方からも同様な主張がなされ「親権」問題だけが両者真っ向から対立となりました。すると相手方代理人の弁護士から私が如何に悪人であり、「暴力・暴言・DV・モラハラをする人物でそんな人物に子供の面倒は観させると危険である。ましてやこちら側が子を連れて別居し、既に子がその生活環境に馴染んでいたにも関わらず、相手方(私の事)は変装して迄子供を奪還した。その行為からしても危険極まりない人物であり、子の福祉からの観点からもこちらで育てるのが適正である。」と主張してきました。するとこちらの代理人が「イヤ、本件は相手方(嫁)が無断で子を連れ去った事が元々の大きな要因であり、そちらが主張する暴力等は全くデタラメである。第一その証拠がない。確かに連れ去られた子を変装してこちらが奪還したことは事実ではあるが、それは子を黙って連れ去られた側の子を思う愛情からであり、子の元々の生活圏はこちら側に在り、(本人は)親権も有しているのであるから、ただ(子供を)取り返したと言うだけで問題は無い。」と反論しました。調停委員は私に「あなたが子を想う気持ちは良く分かりますが、既に保全処分が行われ、子供さんは相手方の処で生活基盤を築きつつある。また相手方は相手方の父と母と同居し、姉がその傍に住んでいると言うので、子の面倒を観る事が出来ると言っています。あなたはどうなんでしょうか?」と聞いてきました。私は「自分は自営業なので自由が利きます。それと母が居ます。」と答えました。すると調停委員は「お母さんはお近くに住んでおられるのですか?」と聞くので「イイエ、別の他府県に住んでいます。ただ子どもと一緒に住めるのであれば、母は定期的にこちら(私の住む処)に来てくれます。」と答えました。するともう一人の調停委員が「(子育て)出来ますか?お仕事あるのでしょう?」と問いかけて来たので、私は「昼間は保育所なので問題ありません。私が送り迎えも出来ますし、仕事も土日は休みです。」と私は必至で答えていました。すると一旦別室でお待ちくださいと調停委員が言うので私と弁護士は別室の待合室に戻りました。私は今回の調停が不安と言うより、先日子を強制執行され連れて行かれた苦しみから今だ脱却していない状態でしたので、脱落感が凄くあり全く元気が無い状態で、待合室でも何も喋らずに落ち込んでいました。すると弁護士がその重い空気を割るように「まぁー、なるようにしかならんね。離婚は良いにしても、こちらが申し立てている子の保全処分がどうなるかやなぁー。相手方も申し立てているからなぁー。」と独り言のように喋りだしました。でも私は前述した様に子の強制執行のショックが私の心をズタズタにしていましたので、何も答えませんでした。イヤ、答える元気さえ無かったのが事実です。弁護士が話を続けます「後は、面会交流がどうなるかやなぁー?相手方もどう出てくるのやろうか?面会交流は大切やからなぁー。」と。「面会交流?」私はその言葉に反応しました。そしてその内容を聞く暇もなく調停委員が呼びに来ました。私と弁護士は再び調停室に戻りました。すると調停委員が「先ほど、再度相手方にも子の親権の件を聞きました。相手方も子の親権は譲れないと言う事です。それで先生(弁護士の事)!離婚の件は次回期日までに双方のお金はともかく、家財一式等で何を分与するのか文章で出して貰えませんか。もちろん相手方にも提出してもらい、再度離婚の件と子の問題を継続して話してゆきましょう。またこの後一度裁判官にも次回の件も含めて色々と聞いてきます。それでは次回期日ですが・・・。」と言い、次回期日が決まり第一回目の調停は終わりました。帰り際落ち込む私を見て弁護士がこの様に言いました。「次回期日までに家財等で何が欲しいのか書いて私にFAXして下さいね。親権に関しては次回もやってみなければ分かりません。ただ、子が向こうに既にいると言う既成事実があるからなぁ。それをどう評価するか。まぁーもう落ち込んでも仕方がないですよ」と。この言葉の意味は既に子供の親権は相手方に有利であって勝てない事を意味していると言う事を私は知る由もなく、気落ちし挫折感が漂う中、弁護士と別れ家裁を後にしました。

それではまた次回に会いましょう!