スズメから学んだこと


 昨年の真夏の出来事です。

 アパートのアスファルトに一羽のスズメの亡骸を見つけました。

 私はこの子を土に返してあげないとと思い粗塩にこの子を入れ、葬る場所を探しました。

 気が動転している私はとっさに人の目を気にしてしまった公園の木の下にと考えたが、今の公園でそんなことしたら、衛生的な事で指摘されるんじゃないかととっさに周りの目を気にしている自分がいました。


 それで川に流そうかと友達に電話して相談した友達はそんな事したらインド人と同じじゃないか可哀想だよ私はそんなつもりは無いよただこの子を自然に返したいだけ


 暫く友達と問答していた私はナキベソかいてる話し合った結果近くに公園があり、そこには小さな神社があるそうだあそこなら人は見てないし、イチョウの木がある、その下に埋めてあげようと百均でスコップを買い、イチョウの木の下の土をほった


 スズメは目を開けたまま亡くなっていた。その子を穴に入れた時、動いた気がして、泣きながらごめんなさい、生き埋めにしようとしてと涙が止まらなくなり謝罪していた。はっと我に返り、亡くなっていたから葬ろうとしたことを思い出した。 

 一部始終を見ていた男性にスズメ死んでいたのかいって声を掛けられ、泣きながら説明した。

 自分がこんなに純粋な気持ちがあったのかととっさに起こした自分の行動にびっくりした。 


 ここで終わりなら美談です。 

 まだ続きがあります。その日のお昼ご飯に鶏の唐揚げが出てきました。


 なんとも生きると言うことはこう言うことなんだと私は鶏肉を噛み締めながら食べた。先程埋めスズメを思い出しながら全く味がしなくゴムを噛み締めている感覚になった事が今でも忘れられないそれでも食べなきゃ残さず食べなきゃって必死でした。


 命を頂いて私達は生かされているスズメを通して私に改めて生きると言う事が当たり前じゃないと言う事を教えてもらった。


 問答した友達に話すと 

 かずもん、良い事したねぇって褒めてくれた。 

 その友達はもうこの世にいないそれから間もなく突然逝ってしまった 


 心のぴゅあだった友達私が苦しんでる時に支えてくれていた友達冗談を言って笑わせるのが好きだった生前友達に感謝していると伝えれたことが唯一の救い突然現れて突然私の元から去って逝ってしまった。

 私は友達の分まで頑張って生きようと思う。

 子供が大好きだった友達


 あきちゃんありがとういつかまた話そうね。 


 スズメの話はまだ続きがあります。

 私がアパートに帰ると、スズメの亡骸があった場所から一羽のスズメが青空に向かって羽ばたいて行きました。

 これってスズメの恩返し?

 私にあの子がありがとうって他のスズメ使って教えてくれた。不思議な気持ちになりました。 


こんな事があるなんてと実はまだ不思議なことがありその一部始終を公園で見ていた1人の若い女の子が居ました。


 私の体調に異変があり友達に相談しました。友達が対話してくれました。その子が私に伝えたかったこと私みたいなお母さんに育てられたかったとその子はあっかんべーして去って行った 


 この子はこの世にはいない子 


 実はこの場所は昔遊郭があった場所女性の切ない思いが入った神社だったのです

。身売りをされて淋しい切ない思いをしてどんな思いで神社に願いを込めていたか?胸が苦しくなります。


 イチョウの木は鎮魂と言う意味があります。 


 きちんと成仏されますように手を合わせました。 


 私の肉体も地球の産物であり死んだら地球にお返しするのが本来の姿なのに人間って面倒くさいって思う

 迷惑掛け合うのが人間なのかな? 

 支え合うのが人間なのかな?


 生きている間にありがとうって何回言えるかな? 


 愛してるって何回言えるかな? 


 祈る事しかできないけれど 


 子供たちの希望がある地球になってもらいたい


 自然が私達に沢山のこと教えてくれる当たり前じゃないってことを 


 感謝しかないです。 


 スズメさんありがとう