こんばんは
アドラー心理学に基づく
勇気づけのピアノ教室
人は変われる
いつからでも
誰もが
幸福になることが出来る

アルフレッド・アドラー

鹿児島市のピアノ教室
宇宿 紫原のピアノ教室
わかまつピアノ教室

若松貴美子です

ニコニコいつも沢山のご訪問をいただきまして
本当にありがとうございますニコニコ

※今日の投稿は
アドラー心理学の「勇気づけサポーター」
若松貴美子としての
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2月10日は
私の娘の入籍記念日です

2019年2月10日でした

当時29歳だった娘も32歳となりました
32歳は、私が娘を産んだ年齢です

平成2年1990年32歳での初産

私が結婚した年齢は31歳

今では、31歳での結婚は、ごく当たり前
ですよね


私が結婚した1989年当時は

31歳での結婚は、
「晩婚」と呼ばれていた時代でした


(28歳のときに写真館で撮影した写真)

当時のミス鹿児島(現在は、鹿児島親善大使)を撮影したカメラマンに撮影依頼したもの




今では、使われていない言葉

「売れ残り」

私は、27.28.29.30.歳
当時
家族からそう呼ばれていました

これって、男性には使われず
女性にのみに使われていた言葉です

女性差別用語ですよね

20代後半のころ

男のきょうだいから

「気が利いた女の子なら、
大学に通っていた間に

結婚相手ぐらい
見つけている

何をボヤボヤしてたんだ」

そう言われたのが
ふと思い出すことが
あります


「音楽を学びに
ピアノの演奏を音を追求して行くために
大学に通っていた私」には

とても不思議な別世界の言葉と価値観でした



これは、昭和の時代の価値観です

「20代後半になっても
結婚できない女性には、価値がない」

私もその刷り込みで

20代後半になっても

「貰い手のない人間は
人間として、何処か欠陥があるからだ」

こんな
母親や男のきょうだいの
言葉を

真に受けて
自分を恥じてました


私は、大学4年の時に出会い
付き合っていた
当時の彼氏とは

大学卒業後に
気持ちがすれ違い

別れています

これは、誰のせいでもない

ましてや
私に人間的な欠陥がある訳でも
何でもないのだけれど

当時は、「私のせいだ、私が女性として
至らないからだ」

そう思い込んで、自分を責めていました


26歳の時にお見合いで婚約した
男性は、結納が無事終わり
結婚式の準備が
全て整い、式場の準備や

新婚旅行の手配も済み

当時は当たり前であった

「事実上の仲人とは、別に会社の上司に
結婚式での仲人を依頼します」

それを待っていました
当時の婚約者は

「その仲人の依頼」
を結婚式の1ヶ月前になっても

しようとしませんでした

婚約不履行
その半年後に父親に伴われて
形だけ頭を下げに来ました

「本当にこんな人と結婚しなくて
良かったね」

27歳の私に言ってあげたい

27歳からの5年間は
ピアノ教室をまた2人の生徒から
始めて
徐々に増やしました

「敗者復活戦」のお見合いを頑張って
その10人目が今の主人です

そうなんです
私に欠陥がある訳でも何でもないんです

「売れ残り」

当時の昭和の価値観
母親や男のきょうだいの価値観
それに

私自身が潰されて来ただけでした

ニコニコアドラー心理学で自分軸を立て直した
今の私には

「私が他人の価値観に振り回されてただけ」

何の迷いもなく
そう思えますニコニコ

そうなんです
20代前半、半ばで結婚しようが

31歳での結婚でも
40代でも、50代でも、60代でも
その時期なんて

人それぞれ