日本語発音矯正コーチの
Kimikoです。
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自己紹介① わたしと外国 アメリカ
今日はちょっと
私自身のことを書きますね。
私の家族は海外との縁が深く、
父は香港で仕事をしていて、
兄たちもアメリカや中国に
駐在していました
私は、小学校から大学まで
すべて日本の教育を受けていますが、
海外へのあこがれの強い子だった
と思います。
学生時代に付き合って人は、
みんな海外へ留学してしまうほど、、、。
なぜかそういう人を
選んでいたような気がします。
結婚相手も帰国子女で、
英語はペラペラ。
結婚5年目で念願だったアメリカ勤務になり
はじめての海外生活になりました。
(現在は離婚していますが、「夫」と書きます。)
夫の駐在先は、
アメリカの
ノースカロライナのシャーロット
という街でした。
憧れの海外生活は、
ばら色になるはずでしたが、
私の英語はまったく通じない上に、
夫は出張が多く、
最初は本当につらくて、
さびしくて、
泣いて過ごす日が多かったです
そんな中、念願だった妊娠発覚
しかも双子
アメリカで出産することになりました。
英語環境の中での出産です。
自分の英語を何とかしたいと、
コミュニティーカレッジで英語を勉強しました。
様々な国の人との関りは
本当に刺激になりました
みるみるお腹は大きくなりました。
でも、アメリカ人のドクターは、
この大きなお腹も小さく見えたらしく、
5か月まで
双子とは分かりませんでした。
アメリカの妊婦は、何をしてOK
ダメなことは「SUSHIと蜂蜜」
妊婦で日本料理店に行くと、
どんどん来てくれ~と
大サービスしてくれました。
2001年9月11日
夫は朝早くノースカロライナからNYへ出張へ。
テレビをつけっぱなしで、
家事をしていたら、
画面が真っ赤にアラート速報。
英語の理解できない私でも、
緊急事態ということは分かりました。
しばらくして、
夫から
「何かあったみたいだけど、無事だから」
との連絡がありました。
同時多発テロ
飛行機が映画のようにビルに追突
ツインタワーの崩壊
現実とは思えなかった。
それから1週間は
夫は帰ってこれず、
帰りの飛行機に乗ったときは、
夫の無事を一心不乱に祈りました。
夫が帰ってきたときは、
戦地からもどった夫を迎えるような
気持ちでした。
2002年2月11日
双子を無事に自然分娩で出産。
医師からは、
一卵性だと言われたけれど、
どうみても、二卵性の男の子たちでした。
アメリカ人には、
アジア人の区別はつかないのでしょうか??
病院で、
「明日には退院していいよ」と言われ、
びっくり
23:45にうまれているから、
朝には退院!
お願いだから
もう一日いさせてくださいと言って
二日間だけ病院にいさせてもらいました。
でも、病院の食事は、、、
ハンバーガー!
産後にはきつかった。。。
子どもは生後まもなく
甲状腺低下症との診断をうけ、
産後三日後からは
病院通いになってしまいました。
小さな体からの血液検査をしなければならず、
かわいそうで、かわいそうで、
3人で大泣きして
看護婦さんたちに
やさしくしてもらいました。
外国での双子の育児と
病気への不安で、
押しつぶされそうになっていました
そして、、、
1年後、NYへ引越することに。
アメリカは州が変われば、
すべての身分証明(以下、ID)を
変えなければならず、
また運転免許の試験を英語で受けることに!
テロ以降
ソーシャルセキュリティーナンバー(以下、#SSN)取得が
難しくなり、
私はノースカロライナでも取得できなかったので、
運転免許取得のためのIDを揃えることが
とても困難でした。
クレジットカードもIDになりますが、
銀行口座開設にはIDが必要です。
自分を証明するものがなければ
「人間扱いされない」というのを
初めて経験しました。
NY州の運転免許は無事に取得できましたが、
このときの悔しさから、
必ず#SSNをとってみせる!
との闘志になりました。
それまでは、必要だから学んでいた英語ですが、
積極的に英語を話すようになりました。
その国の社会に認めてもらえることが
自分らしくいられることだと
外国での生活を前向きに捉える
ようになって、仕事もするようになりました。
教師の職は、NYがはじめてで、
子どもが通う幼稚園で
働いてくれないかと
言われたことがきっかけです。
保護者の方に、
日本の文化を紹介してほしい、
日本語を教えてほしいと
言われることも多く、
日本人であることを意識するようになりました。
外国で暮らすと
自分のことがわかるようになると言いますが、
私も同じで、
自分の中にある「日本」という
アイデンティティを強く感じるようになりました。
アメリカ生活4年目で、
労働許可書を取得できて
念願の#SSNもとることができました。
そして、アメリカンエクスプレスカードも
自分の力で持つことができました。
やったー
夫のアメリカ駐在は5年で終わりました。
本当につらいアメリカ生活でしたが、
今、自分が日本語教師をしているのは
この経験があったからです。
アメリカで出会った双子の先輩ママに、
「いつかパッと
子どもたちの手が離れる時が来る。
その時に大学に戻って、
日本語教師の資格を取りなさい」
と言われたことがきっかけです。
人生の中での
人の出会いとは不思議なものです。
本当に感謝の思いしかありません。
・・・・・・つづきは自己紹介②