久しぶりに帰省してます。





朝の国際通りは人もまばら






実に5年ぶりの帰省!








湿り気を含んだ空気に包まれると、帰ってきた感じがする。








今回の帰省でしみじみ思うのが、






私は不幸なんかじゃなかったんだな




ということ。







沖縄ぜんざい♡大好物♡







物凄く与えられて、与えられて、注がれまくって生きてきた




ということ。






それを、何を見ても聞いても食べても、実感する5年ぶりの里帰り。








水あめ!数十年ぶり!?

小学校の運動会の定番で、かき氷共に校門の外で必ず売ってた。







して貰ってたこと、与えられてた環境、愛情、全てが当たり前じゃなくて





ほんとーに、どれだけ与えられて生きてきたんだろう••って胸が震えまくる。






5年前と、明らかに身体で受け取る感覚がまるきり変化してて驚く。






何があった??






と振り返ると、前回のGW帰省後から感謝ワークを2〜3年して受け取る力が爆上がりしてたり、





設定変更を通してお稽古もガッツリしてたし、体感覚を磨いたりとこの5年、みっちりだった。笑









オオゴマダラ。国内だと沖縄以南にしかいないらしい。指にじーっと止まられて、血吸われるかと思って焦った。笑







それまで長い事『私は不遇な子ども時代を過ごした』って思ってたし、






そのせいであろう心の傷や欠乏感を解消するのが豊かで幸せな人生にする為に必須!






そう思って、せっせせっせと癒したりワークしたり本音見つけたり(ぶつけたり)






やりたいことやったり、嫌なことやめたり、感謝したり罵詈雑言吐き出しワークしたり、まぁとにかく色々したし、






実際に大分効果もあったとは思う。







キンタコの愛称で有名なキングタコス🌮友達が連れてってくれて初めて食べた。美味しくて気付いたらペロリ。






なぜなら、そういう『子どもの頃の◯◯』とか『あの時の◯◯』みたいなことを思い出すことも、





その引っ掛かりに捕らわれてエネルギーを注ぎ続けることも、ほんとーに無くなってきたから。






けど、今思うと結局は全てが『あれはダメなこと』と否定からスタートしてたんだよね。





×だから、◯にしたかったんだよね。





あれでいいなんて、到底思えなかったから。





それぐらい、寂しかったし傷ついたしやるせない思いを子ども時代にいっぱいしてきた。





↑そう思ってたから。





でもなんか、もうそれでいいや、って思えたの。今回。






過去が不幸だから、幸せにするでもなく



あれでも幸せだったと肯定するでもなく




ただ、そのまま




ただ、あのまま





あれでいいや、って飲み込んだ。




ただ、ああだった。




そのまんまを、飲み込んだ。












そしたら




不幸だ!と、足りなかった!と、もっとこうだったら!と、




『ダメだった過去を見るメガネ』からようやく解放されて




確かにあったものの存在が色濃く増した。




過去から傷ついたり、過去とセットだったやるせなさが消え、深く息を吸えた。








かわいーさー







あんなんだったから傷ついた!




そう感じたのも、私の素材ゆえ




私の感受性ゆえだったり、質だったり。





単にそう受け取った




そして傷として、欠乏として結びつけた





そう感じた。






それに過去の否定が、実は今の私自身の否定にもなっていた。




過去を否定することで、無意識にずっとずっと




もっとこうでなければ




そう言い続けていた。





それが、終わった。




今、これで良かった。

どこにも行かず、何にもならず。





↑そう思えたら、そりゃ息も深く吸える。








ハイビスカスって、実は外来種もあるんだって。







身体レベルで感じることがあまりにも変わってて、




この5年間のお稽古の効果を思い知った。







少し前に、『これまでやってきたこと全部無駄だったな』と打ちのめされる機会があったのだけど。





お稽古は自分を裏切らないな、と思った。





大切な人へ抱くもの、向けるものが恨み辛みやしこりではなく





感謝で溢れるのを感じられること。






たくさんのお稽古と注いだこの5年の果てに残った、そんな自分を確認できたことが嬉しい。









月桃の写真ゲットウ