思考から手を放し感じるスイッチに切り替える時



エネルギーが循環する。




疲れた時


気枯れした時



ただ『休む』だけでは、回復しない時は


感じることが本来のエネルギーを取り戻してくれる。













感じるって、



ただただこの瞬間の私の感覚に耳を傾けて



感じるままでいる、ということ。








なのだけど



最初は『感じることを思考してる自分』を



感じてると思ったり





感じてたはずがいつのまにか思考に切り替わってたり



反応や反射的な思考の状態と混同しやすいものだな、といまだに思う。





それでもやってると違いが自覚できるようになってきて、



『感じる状態』に戻りやすくなってくのだけど。





そして、思うにこの状態を好むのは、感覚的にも気持ちいいからなのだけど、



この状態の時にシンクロ的なやつが多発するのを見ていると、



この状態が人間としての本来の自然な状態なのかもな、と思ったりもする。












ただただ、通り道である自分。




感じる肉体に明け渡してる自分。




我を張ってない時の状態。








でもね。




この頃は、やっぱりそれさえも



ただの材料なのかなと思う。





そこが人間として目指すべきゴールみたいに勘違いしてた時期も長いのだけど、



シンクロ起こせる魔法使い人間になるのがGOALみたいな




通り道で、無限のエネルギーを通過させられる自分で、






何するの?



って言うところ。





むしろ、GOALどころかスタート。笑






例えるなら、運動会始める前に雑草抜いたり小石拾ったりのグラウンド整備、みたいな?





さきこさん見てると、その言葉に耳を傾けてると、やっぱそう思う。





そして、そのGOALとスタートを勘違いしてる人が多いから、引き寄せ系難民になりがちなのかな、とも思ったりする。私含め。笑






エネルギーを巡らしてからがスタート。




充填した自分で、どこへ行く?何をする?



どんな世界を見たい?








長らく長らく『ラクに生きた過ぎて』私も自己啓発ジプシーだったけど、







そんな自分で何をする?


何して遊ぶ?





そんな視点を教えてくれたさきこさんや、はるかさんといった出会いを通して





生きて使う為に在る自分という存在



を、少しずつ少しずつ受け入れられています。



まだ少しずつ🤣









春を終え夏〜秋〜冬の間にも少しずつ少しずつ蓄えて

咲きたくてたまらない桜の蕾たち♡