去年から再び始めた演劇。
現在もワークショップに参加しています。
先日、稽古に参加していて
その日はあまりダメ出しがなく。
かといって、良い点を挙げられるでもなく。
私の演技にはほぼ指導が入らず、
さらーっと進んでゆくお芝居。
私、初めて
(なんだかつまんないな)
と思いました🤣
その日はとても単純な役柄、かつ短めのシーンというのもあったかもしれませんが。
最後になってようやくフィードバックで触れられたのですが、
私、それを待つ迄の演技の合間に、
他の人へのフィードバックも見てて
気づいちゃったんですよね。
(なんか楽しくない)って、
感じた理由。
最後に聞いてみたんですよ。
その日、特にフィードバックが少なかった理由。
そしたら一言
「あんまり言うことなかったから」
って。
つまり、言う事なし、ってことです。笑
上達って、楽しいですよね。
手応えがあって。
改善点を指摘して貰って、
↓
改善に努める
↓
反映されてOKが出たりお褒めの言葉を頂く。
自分が感じてた楽しさが、これまでこの一連の流れの中での『楽しい』だったと気付いてしまって。
つまり、正解に当てていく楽しさ。
じゃあ、言われることなくなったら楽しくなくなったのなら、
どうしたらいいんだろう?って思って。
褒められたり、ダメ出しされたり、そういうのが無くなったら楽しくなくなった。
じゃあ、やめる?
演劇じゃなかった、
これじゃなかった、とやめる?
という考えもよぎりました。笑
私はいつも
「もっと自由にやって!」
「まだまだ出せるはず!」
とも言われていて。
それは、そのまま私の中での『正解』という指針にもなっていたので、
その『自由にやる』『エネルギーを全解放してやる』というのも常に意識もしてましたし、
そういう細かいアドバイスを、素直に受け取ってるからダメ出しも減ってきたんだと思うし。
でも、せっかくダメ出しも何もないなら。
×にしろ○にしろ正解を追うことで楽しさも演技も頭打ちになるならば。
もっと自由に遊ぼう、と初めて思ったんです。
その『自由』は、OKが出る位までのという正解を意識した自由ではなくて
もっと、自分の中で自由に練ったり展開したり膨らましたりする自由。
『そうそう!』
『OK!いいよ!』
そんな正解の声にとらわれず、思いっきり好きにやってみる自由。
必死でそれまで気付かなかったけれど、
いくら指導がないからって、ずっと及第点の演技を繰り返してたら、そりゃあつまらなくもなるし
どんどん楽しくなくなっていく。
ロボットじゃないんだから。
なので、待機中にそれに気付いてからの後半は、
さらにのびのび演技して、その役の可能性を探ってみることにしました。
そしたら、『つまらない』とか考えてる暇なくなった。笑
勘違いに走るところでした。
演技することがつまらなくなったのではなく、
つまらなさを感じられる位に、初期より少し余裕が出てきた
ことと、
言われた通りに演る、ことに加えて自分でももっと遊び心を基に追求してみる。
そんな風に、広がっただけだった。
これまでならばどっちかに振り切ってた。笑
『忠実か?』『自由か?』と。
>厳密に言うと、俳優は脚本家が作り上げた役を再現することしか出来ないけどね。
実はブログに書き始めた当初は、
正解に寄せていく喜び<自由にやる楽しさ
というように、喜び方、楽しみ方の進化だ!成長だ!と思っていた。
だから書き始めたのだし。
でも、言葉にしていく中でまた二極掛かってるのが見えてきた。よかった。笑
守破離の守→破と思ったし、
守よりも破、破よりも離、がエライのだとも思い込んでた。
グレードが上がってく感じ。笑
でも本来の意味的にもそうじゃなかった。
長くなりましたが。
不思議なことに、これらの気付きを経てから
色んな場面で
『正しさにハメる喜び』→『もっと遊びたい!』
とエネルギーが湧いて
変化を感じています。
まるでオセロがひっくり返るようにパタパタパタ、と。
それだけ人付き合いも、プライベートや仕事も含めほんとーーーにこれまで『正解』にハマるように
色んなものを伺いながら、
コントロールすることに注いできたんだなーと。
なんか、物凄く疲れることをしてたんでは?
と思う。笑
ちょっとずつちょっとずつ、今年はこの新しいエネルギー感覚に慣れながら、
もっと自由に遊んで行けたらと思います✨